Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 ――北陸・甲信越地方代表・チーム『CURE AID』。
 ぴったりと息の合ったチームワークを披露して、トリニティカップの2回戦まで勝ち上がってきた新鋭のチームだ。
 結成1年目にして校内選抜、地方予選、本選の第1回戦とトントン拍子に白星を勝ち取ったとき、リーダーである薬師堂はるはとんでもないことに気付いた顔で言った。

「あれっ? もしかして私たちってダンス上手い?」

 1日目――1回戦を終えて控室で荷物をまとめている時だった。
 はるは「うん、そうだよ。やっぱそう」と1人でうんうん頷いて続ける。

「だって審査員ってプロダンサーの人だよね? その人たちが付けた点数で勝てたってことは」
「私たちのダンスが認められたってことかも」
「そう! これってすごいよね、すごいよね!」

 双子の姉である薬師堂まなぶが一緒になって飛び跳ねる。

「そうだよ、はるちゃん。勝てたらラッキーって思いながらやって来たけど」
「このまま優勝しちゃう可能性とか!」
「あるかも。あるある」
「だよねだよね! まいっちゃうなー、もー!」

 大盛り上がりの2人の会話を、もう1人のチームメイトである毒島ミチルは我関せずの様子で聞き流していた。
 それが昨日のことである。
 ――そして先ほど行われた敗者復活戦のステージを観て、まなぶとはるは、またとんでもないことに気付いた顔で口を開いた。

「優勝は無理かも……」
「勝てたらラッキーだね……」

 もうじき始まる2回戦第3試合を前にして、控室の備え付けベンチに腰掛けてうなだれる2人。
 昨日の元気はどこへやら、どん底のテンションの双子であった。

「次のステージ、どうしよっか……」
「うん……いま絶対『ブーケ』推しの空気になってるよね」
「何か、大逆転の作戦とかないかな? みんなをあっと言わせるような」
「『ブーケ』や『蒼牙』みたいに、私たちも歌を歌うとか」
「はぁ~北陸いいとこ一度はおいで~♪ みたいな?」
「うん、うん。そうそう。そしたらダンスはこんな感じで」
「ぴったりぴったり! そしたらこうして、ちゃんちゃちゃんちゃちゃん♪ っと」
「はぁ~北陸~いいとこ~、一度は~お~いで~♪」
「お魚、お野菜おいしいよ~♪」
「お米もとってもおいしいよ~♪ は~、ちゃんちゃちゃんちゃちゃん♪」
「いえーい!」
「せんきゅうっ」

 双子ならではのコンビネーションでびしっと決めポーズをとってから、同じようにベンチに座り直す。

「ステージ、どうしよっか……」
「いい考えってなかなか浮かばないね……」

   そんな2人を気に掛けることもなく、ストレッチに専念するミチルである。
 肩甲骨をぐるぐる回しながら、これからのステージのことを考える。
 間違えやすい振り、陥りやすいミス、魅力の肝となる箇所とタイミング――それらを順番に頭の中でおさらいしてイメージトレーニングを繰り返していた。
 ふと、はるやまなぶが悩んでいるような画期的な何かを一緒になって探すべきだろうかと思ったが――ベストを尽くす以外にすべきことはないとミチルは結論付けて、雑念を心のゴミ箱に落として無かったことにする。そうして合理的な行動に取り掛かれるところが、ミチル自身も自負する長所だった。

「はるちゃんどうしよう、もうあんまり時間ないかも」
「ねえねえ、ミチルも一緒に考えようよ! 私たちが突然パーッと派手に目立ってダンスが上手くなる方法!」
「大きく変わるのは難しくっても、今までよりちょっとでも良くなるようなアドバイスがあったら」

 腕の腱を伸ばしながら、首をかしげて見つめ返すミチル。
 すると何故かはるもまなぶもたじろいだ。

「ミチル、ミチル! 目がめっちゃ冷たい!」
「お願いだから笑って、ね?」
「……別に、普通の顔をしているつもりだけれど。冷たく見えるなら、その理由は自分自身の中を探してみるべきかもしれないわね」
「ほら! やっぱり怒ってる!」
「取るに足らない幻を追いかけるより、他にすべきことがあるんじゃないかとは思っているわ」
「う。それはその通り、かも……」

 双子が手を取り合って震え上がるのを見下ろしながら、ミチルは腕を組む。腕を組むと5割増しで冷たく見えると言われたことを思い出してほんの一瞬考えるも、結局そのままの姿勢で続けることにした。

「散々言っていることだけれど。足手まといは要らない」
「ううっ」
「ちょ、ちょ~っとだけ厳しめっていうか、できたら励ましてほしいというか……」
「励まし?」

 はるが精一杯の笑顔を作りながら言うので、そんなに怖いかしら、と内心で不思議に思うミチルである。
 とりあえず腕組みは解くことにした。

「必要なら処方しなくもないけど」
「処方って」
「健康なのに風邪薬を欲しがる人がいたらどうするかしら?」
「元気出してシャキッとしなさいって言って背中叩いて追い返す」
「その気分よ」
「その気分なんだ……」
「分かったらステージの準備をしましょう」
「「はぁい」」

 気持ちの切り替えは、はるもまなぶも非常に早い。3人でストレッチを始めるとすぐにいつもの表情が出てくるようになった。
 特に口にはしないが――ミチルはふたりのこういうところを頼もしく思っていた。

「まなぶ。踊りだしの1歩目、昨日より大きめに踏み出してみたらどうかな」
「わかった。そうした方がはるちゃんも動きやすいよね。ミチルちゃんも歩幅合わせてもらっていいかな」
「ええ、そうしましょう。見栄えも良くなるわ」
「私は直したほうがいいところある?」
「はるちゃんは、いっぱい思い付くかも。スカートの裾を掴む動きがまだぎこちないよね」
「あれかぁ。自然にやろうと意識しすぎて、逆に失敗することが多いかも」
「移動しながらある程度のところを掴んで、それから手繰り寄せる。そう教えたはずだけれど」
「こうしてこう、だよね。ステップしながらスカートを掴んで……でもいつも失敗するところって2歩しか移動しない振りのところだから、早くしないとって慌ててカッコ悪くなることが多い気がする」

 腰を曲げてロングスカートの裾をむんずと掴む仕草をする、はる。

「うん。それだと頑張って掴みに行ってる感じが出ちゃうかも」
「でしょ」
「一気に深いところから始めようとしすぎなのよ。――背筋を伸ばしたまま、右足を1歩踏み出して。それで手が当たったところを掴んで。――そう。その位置をよく覚えておいて」
「こんなに上の方で大丈夫?」
「2歩もあれば十分手繰り寄せられるわ。やってみて」

 はるが振付をなぞってみる。ミチルの教え通りにすると、スカートの両端は自然な流れではるの両手に収まった。
 そのまま両端を持ちつつ1回転。最後は裾を広げて上品にお辞儀をしてみせる。

「はるちゃん、できてるできてる。さっきより余裕があって綺麗に見えたよ」
「やった! ミチルから見てどうだった?」
「掴むときに下を向いていたからやり直しね」
「もう1回! もう1回見てて!」

 そう言ってはるが背筋を伸ばす。踏み出しも、スカートの扱いも、動きも表情も申し分ない出来だった。
 飲み込みが早いのは素直だからだ。結成1年目でトリニティカップまで来れたのは、はるとまなぶの素直さを抜きにして語れなかった。
 ミチルは、割と客観的な考えをするほうだ。お世辞を言うこともそんなにない。

「さっきの話だけれど」

 だからこれはただ事実を述べただけの何でもない言葉だった。

「私は、あなたたちとなら優勝も不可能じゃないと思っているわ」
「「…………」」

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔で――唖然とした様子で2人がミチルの顔を見つめてきた。開いた口の大きさまで同じね、とミチルは思った。

「そんなにおかしなことを言ったかしら」
「ううん!」
「ミチルちゃんのお陰でやる気が出たかも」
「そう。――時間だわ。そろそろ行きましょうか」

 姿見で衣装の最終チェックをして部屋を出ようとしたところで、呼び止められた。
 はるが右手を伸ばしている。その手にまなぶが自分の手を重ねた。その上にミチルの手が重なるのを待っていた。
 つい、じっと見てしまう。

「ほら、はやく!」
「ええ」
「……ミチル、もしかして照れてる?」
「照れてないわ」
「あっ、ウソだ。見てまなぶ! ミチルが照れてる!」
「ほんとだ。ミチルちゃん可愛い」
「照れてないって言ってるでしょう」

 険しく眉をしかめて見つめてもまったく意に介さずに盛り上がる2人。珍しいとしても騒ぐほどのことではないし、動画に残すからもう1回とせがまれてもやらないし拝まれてもご利益などあるわけがないと、いちいち突っ込むのも面倒だったので、ミチルは呆れ果てた表情を貼り付けて誤魔化した。
 他の誰も気付かないようなことに気付く――これがチームメイトというものかと思うとどこか面映ゆくて、ミチルは自身の油断を深く反省した。
 そろそろ本当に時間が迫っていた。
 半笑いのままのはるに「しっかりして」と活を入れる。号令がかけられ、まなぶ、そしてミチルが右手を重ねた。
 トリニティカップ2回戦第3試合。対戦相手は中国地方代表・チーム『鳥雀』と敗者復活チーム『ブーケ』。どちらも『CURE AID』と違った魅力を持った難敵だが、合理的に考えて、負ける可能性は0だ。それはなぜかと問う自分にまるっきり不合理にミチルは答える。
 理由はいらない。勝つといったら勝つのだ。

「それじゃテンションも上がったところで……笑顔が一番、今日も元気出していこ! キュアエイド、レッツゴー!」
「おー!」
「ええ」

 控室のドアを開けて進む。『CURE AID』のステージが幕を開けた。

  ***

 暗転した舞台がゆっくりと明るさを取り戻していくと、ステージ中央で目を伏せて立っている3人の姿が明らかになっていく。
 濃紺の衣装に白のエプロンがよく映える。ナースキャップのような髪飾りと所々にデザインされた十字のマークとが相まって、シックで落ち着いた病院の天使を思わせた。
 衣装はセンターの子だけひざ下まであるロングスカートだ。裾をつまんでお辞儀をしている姿はおしとやかで上品な印象を観客に抱かせるが、1日目のパフォーマンスを観たオーディエンスは『CURE AID』のダンスが力強さを内に秘めていることを知っていた。
 音楽が始まる。
 1曲目は昨日披露されたものと同じだった。
 昨日のパフォーマンスよりもセンターの子が大きく動けている印象で目を惹いた。スカートを翻しながらステージのあちらこちらを駆け回って、笑顔と元気を振りまいていく。3人が代わる代わる立ち位置を変更して、それぞれ違った振りと魅力を観客に披露していく。
 明るいけれど落ち着いていて、上品だけれど可愛くて笑顔になる。そんなコンセプトの曲と振りが3人の持つ空気感とよく合っていた。

「可愛い」「さりげに体力のいりそうな振り構成」「黒髪の子のキレが半端ない」
「衣装の魅せ方が上手い」「スカートの動きが綺麗」「癒される」

 パフォーマンスを通して特に際立って見えたのは、センターの子のロングスカートの扱いの上手さだった。
 ターンやステップに合わせて不規則に表情を変える裾の長い衣装は、良くも悪くも目を惹いてしまうが、それをまるで手足の一部のように操って違和感を覚えさせずにいられることは、実際にスカートで踊ったことのある経験者こそわかる苦労だった。難なくこなしているように見せつつ、タイミングや見え方に常に気を張らなければいけない小道具の一つだ。
 それを自然と振付に取り入れながら魅力に変えているのが高評価だった。

「ずっと笑顔」「優しさがあふれてるみたい」「キラキラしてる」
「3人の距離感がぴったり一緒」「特にセンターとレフトの子のシンクロすごい」

 音楽が鳴りやむのに合わせて優雅な所作でお辞儀して、1曲目の披露が終了した。
 続く2曲目は新曲だ。
 青春を連想させるような爽やかなメロディーラインだった。
 1曲目よりもジャンプやターンが多く盛り込まれていることや、チームメイトと向かい合って交わす弾けるような笑顔が、まるで年相応の天真爛漫な女子をモチーフにしているような振付だった。  青春を思わせたのは、時折、切なさを誘うようなマイナー調のフレーズが挿し込まれるためだ。背を向け合った3人が、表情を翳らせながらそれぞれの未来を見つめる。進む道が違うことを予感させるようなワンシーンで、不安を表すように胸元に寄せた手が宙を彷徨った。彷徨って、胸元に戻っていく。いまはまだしまっておいて構わないというように。
 曲サビがやってきて、また3人は笑顔でお互いに向き直った。
 大きく振られた腕が衣装の裾を舞い上げる。長い髪がふわりと浮き上がって風と遊ぶ。女の子らしさをめいっぱいに広げてみせて、大好きな友達といる今を同じステップを踏んで進んでいく。
 いまこのときを全力で謳歌しよう――きっといつまでも同じではいられないから。
 どこまで私たちは行けるだろう。どんな未来が待っているだろう。いつかたどり着く岐路を、少しだけ怖がりながら待っていよう――そんな心情が表現されたダンスだった。

「胸がぎゅっとする」「シンクロ感すごい」「見えてないとこでも息が合ってる」
「この振付考えたの誰だろう」「共感しすぎてやばい」「良かった」

 最後まで感情を込めて――
 やりきった顔で『CURE AID』の3人がステージを降りて行った。

***

 続いて中国地方代表・チーム『鳥雀』がステージを披露した。
 全員が1年生ながら身軽さを活かしたジャンプやバク転など、アクロバティックなパフォーマンスが観客の目を奪う。しかし同じくアクロバティックな構成だった『金鯱』のステージを観た後だとどうしても物足りなく感じ、点数が伸び悩んだ印象だった。
 会場の人気をさらっていったのは、やはり、最後に登場した関東地方代表・チーム『ブーケ』だった。
 ブーケの歌声とダンスは、回を重ねるたびにすんなりと入ってくる。曲を覚え始めた観客から手拍子が起こり、手先の振付を真似して一緒に踊る観客も多く見かけられた。
 オンライン上のライブ配信の方がそれは顕著で、昨晩のうちに自宅で真似をしてみた動画発信が急増したことで注目度が上がり、同時接続数は限界ぎりぎりで高止まりしていた。
 ステージと会場とオンラインの、垣根を越えた一体感を生み出した『ブーケ』のステージが盛況のうちに終わる。
 3チームの点数が発表されるまでには、ほんの5分程度だが不自然な間があった。あとで聞いたところによると運営上のトラブルがあったようで、詳しい説明は省略されたが、はるやまなぶやミチルたちにとってはそれよりも点数の方が重要だった。
 司会者が声を張り上げた。

「『CURE AID』――ビジュアル29点、演出27点――総合141点」
「『鳥雀』――ビジュアル25点、演出27点――総合129点」
「『ブーケ』――ビジュアル28点、演出30点――総合143点」

「決勝戦進出は敗者復活の関東地方代表・チーム『ブーケ』に決定しました!」

 想像していたよりも疲労感がのしかかってきて、ミチルは小さく、ため息をついた。

***

「終わったあ~~!」
「はるちゃん、お疲れさま」
「まなぶもお疲れさま! ミチルも! ねぇ、私たち初出場なのに意外と良いところまで行ったよね?」
「うんうん。ダンスの才能あるんじゃないかな、私たち」
「だよねだよね! どうしようかなぁ、文化祭でダンスのオファーとか来ちゃったりして!」
「市役所とか農家さんからもCM依頼来ちゃうかも。有名人の仲間入りだね」
「いやぁ、さすがにそこまでじゃないでしょ! まなぶってばお調子者!」
「それを言ったらはるちゃんもでしょ。ずっと頬っぺた緩んだままだよ」
「緩んでない緩んでない」
「緩んでるよ」
「してないってば」
「してる」
「してない!」
「してる!」

 いつの間にか無言でにらみ合っている双子に気付いたミチルが仲裁に入る。

「ほんの5秒か10秒でケンカまでできるのは姉妹たる所以かしらね。呆れてものが言えないわ」
「だってまなぶが!」
「はるちゃんが!」

 腕組みをして目を細めると2人が押し黙ったので、上手く仲裁できたと内心で満足するミチル。
 ついでに言っておくべきことを思い出して口を開く。

「あなたたち、才能がどうとか言っていたけれど」
「うっ……」

 はるとまなぶの顔が、冷や水を浴びせられたかのように固まった。
 悪ノリが過ぎた――と反省しながら続くミチルの言葉に身構えた。

「結成1年目で、あなたたちに至ってはダンス初心者からのスタート。それで全国大会で結果を残せたのは紛れもなく努力の積み重ねによるものだわ。それを才能なんてあやふやな言葉で言い換えないで頂戴」
「…………おしまい?」
「ええ」
「えっと……もしかして私たちいま褒められた?」
「そうよ」
「なんだぁもう……! ビックリしたー!」
「よかった……てっきり才能なんてないから調子に乗ってないでって怒られるかと思った」
「滑って転んですってんころりん、だけど間抜けにつける薬はありませんって言われるかと思った」
「欲しければいくらでも処方してあげるけれど」
「わ、わ~。今度はほんとに目が冷たぁい……」
「嘘よ」

 悪戯が過ぎたようだった。反省して、ミチルは普段通りの声音で続けた。

「それで――今後のことだけれど」

 そうそう! と、パッと双子が顔を輝かせた。

「今夜のこと? それとも明日の予定? 近くを観光しに行こうって言ってたもんね」
「ミチルちゃんは神戸に行きたいんだっけ。私も中華街で食べ歩きしてみたいかも」
「じゃあ決まり! お母さんたちにお願いしてこれから行こうよ! 時間? 大丈夫大丈夫、ほら電車ですぐだって!」
「そうじゃなくて。今後っていうのは――」

 ん? とよく似た顔で双子が振り返る。
 その瞳に、ミチルが覚えたような不安なんて少しも映っていなかった。
 そうだった、2人はこう見えて切り替えが早い。精神的なタフさはミチルはきっと敵わない。
 そんな2人を頼もしく思いつつ、自分の気を引き締め直した。

「――いえ、何でもないわ。まなぶ、食べ歩きをしたいお店は調べているの? あなたたちは何でもない1本道でもすぐに迷うのだから」
「大丈夫だよ。スマホがあればどこからだって帰れるもん」
「うんうん! 平気平気!」
「だといいけれど」

 この後予想は的中し、食べ歩きの最中に双子が迷子になってミチルに冷たく諭されることになったのは別の話。
 はるとまなぶ、そしてミチルの両家族は連れだって南京町を散策し、食べ歩きをし、漢方のお店を覗き、パンダの被り物を買って、満腹になるまで中華を堪能して、ホテルに戻ってぐっすりと眠った。

「…………」

 そして明け方に、3人とも、トリニティカップで優勝する夢を見て目を覚まし――
 来年こそは、と決意した。

***

「皇よ。理由はわかるな?」

 床に転がされていないだけ温情とでも思っているような顔だ。
 皇が座らされているのは粗末なパイプ椅子だ。こんなものは会長室の調度からかけ離れているから、皇をみじめにさせるために御門がどこかからわざわざ運び込んだのだ。そして体力自慢の部下を置いて皇が立ち上がらないように見張っているのだ。
 御門の言葉には憐れみすら含まれている。言葉だけではない。表情も仕草も全身からも皇を蔑む感情がにじみ出ている。失敗した。失敗した。失敗した。合わせて3度も失敗した。3の数字には神が宿る。思い通りにならなかったその3度が皇を奈落へ引きずり落とした。

「違うんです父さん、いえ三神会長。弁明をさせてください。あれは必要な措置だったのです。今回の審査員が偏向気味の評価をしていることに気付いたのは私だけでした。私でさえ最後の最後まで確信が持てなかったほどとても巧妙に、しかし疑いようもなく確実にあるチームが勝利するように点数を調整していたのです。そうして勝ち上がったチームが決勝戦に進むなど許されるはずがない。あのチームだけは早々に敗退して消えていなければならなかった。そうしないと『蒼牙』のブランドもトリニティカップの存在も揺らいでしまう。これは確かな予測です。会長ならば理解できるはずです」
「だから不当に得点を下げるよう審査員に圧力をかけたが拒まれた、と。誤りはないな?」
「あの審査員たちの身柄の確保が必要です。慎重な会長のことですから疑いのある私を拘束することに私自身異論はありませんが、同時にもう一方の被疑者の確保にも手を割くべきではないでしょうか。証拠隠滅あるいは雲隠れなどされては面倒です。私は私自身の潔白を証明すべくこうして大人しく待つことができますから、いまはそちらへ手を回すべきではないでしょうか」
「貴様自身が……三神に泥を塗るとはな」
「私は潔白ですよ。明日にはつまびらかになりますがすべてはトリニティカップを守るためのこと。最後の防波堤として私は最善手を打ったと自負しています」
「儂が、貴様を追い込んだのだな」
「話を聞いてください会長、ですから私は」
「身内だからこそ厳しく当たり、父子の時間を築いてこなかった。その報いがやってきたか」
「会長? しっかりしてください会長、どうか私の話を」

 言葉の奔流が立て板の表面を流れ落ちていくように、まるで手ごたえがないのを感じていた。
 御門は見るからに憔悴しているが、弱っている人間が欲しがる言葉を選んで投げていても全く効果がない。挙句に父子の時間などと言い出して皇には到底始末に負えなかった。御門がため息を漏らすたび皇はザラザラの手で頬を撫で上げられているような不快感を覚え、それを顔に出さないようにするのが困難だった。

「実はもうしばらくしたら貴様に任せようと考えておった事業がある。海外の事業でな」
「そんなことより会長、私の話を」
「教育が満足に受けられない子供たちのもとを回り、ダンスを通じて心の豊かさを育む事業だ。辞令を用意した。明日から貴様は現地へ向かえ」

 は?

「いま私がトリニティカップの運営から離れるのは愚策です会長。社長職の方もです、意味不明な転属は社内外の無用な混乱を招き株価にも大きな影響が」
「貴様は儂が思うより、ずっと大きく成長していたのだな」
「だから話を聞いてくださいって父さ、いえ会長。私は今トリニティカップの未来について話を」
「父さんで良い」
「はぁ?」
「これからは父と子として貴様と向き合おう。儂も余暇を見つけては家族に時間を割こう。貴様もこれからそうするがいい。――不安は忘れるのだ。儂はどこにいても皇、貴様の味方じゃ」
「だから……話を聞けっ――!」

 皇が激昂して立ち上がったところを、後ろに控えていた御門の秘書たちが取り押さえた。
 後ろ手に拘束され抵抗できない。皇は頭を振り回してもがいたがびくともしなかった。
 連れて行け、と御門が命じるとそのままの姿で運ばれていく。まさか本当に? これで終わりなのか? あとちょっとで、あとたった1日で三神ホールディングスのすべてを手に入れるはずだったのに?
 部屋を出るまで御門は皇とずっと目が合っていた。今までに見たことのないような優しさに満ちた目だった。ずれている。根本的にずれている。こんなずれた人間だからか経営者としては辣腕すぎる。
 ああ失敗した、失敗した。父ならこんな失敗はしなかった。
 憧れと言い表すのが適当な感情を、皇はいつも劣等感と呼んでいた。
 そう教えられたからだ。あるいは教えられなかったからだ。

  「会長――――」

 皇の声がスタジアムに響き渡る。
 喉が裂け、割れた声の怨嗟が次第に小さくなっていく。
 こうして三神ホールディングス社長三神皇は、決勝戦を見届けることなく、人知れず表舞台から姿を消した。


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