Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



「スポーツの世界に敗者復活戦なんて――と思っている方もいるかもしれない」

 暗転したステージの中央を一筋のスポットライトが照らしている。
 ステージにはただひとり、スーツ姿の男がマイクを握って立っている。
 三神皇だ。

「私もそう思っていました。敗者復活戦なんてものが存在すると競技回数に不公平が生まれてしまうことは明白ですし、1回戦の経験を活かしてパフォーマンスを向上させるチームも存在するでしょう。そうして勝ち上がったチームがもし優勝したとして、彼女たちはクイーンのトロフィーを誇らしく受け取れるでしょうか。ギャラリーの皆様に認められるでしょうか――と、私自身そう思っていました」

 会場中の視線を一身に集めている。
 カメラが三神皇の顔をフォーカスする。ライブ配信を通して世界中が三神皇を見つめていた。

「しかしトリニティカップを10年間観続けた私はこうも思ったのです。どの年のどのチームも素晴らしいステージを披露し、それを見守り続けてきた私はこう思うようになったのです――こんなに素晴らしいパフォーマンスが1回しか観られないなんてもったいなさすぎる、と。せめてあと1度機会があれば、きっとさらに磨きがかかったステージが観られるだろうにと。皆様もそう思ったことはありませんか。
 今年の1回戦もやはり、期待以上に胸躍るステージばかりでした。もう1度観たいと私は思いました! 皆様は思いませんでしたか。もう1度あのステージが観たい、もう1度あのチームのダンスが観たいと。
 そしてその思いは実際にステージを披露してくれる彼女たちも同じだと知りました。辞退は1チームもありません! 1回戦敗退の16チームすべてがいま闘志を熱く燃やしています!
 ぜひ一緒に応援しましょう――敗者復活戦に参加するチームの登場です。拍手と歓声でお迎えください!」

 音楽が鳴り始めるとともに、会場をレーザービームが跳ね回った。
 いつの間にか皇はいなくなっていた。観客は次に現れるものを見逃すまいとステージに釘付けになっていた。
 たっぷりと期待を煽ったあと、司会の声が響いた。

「――九州地方代表『レアアース』!」

 ステージ下から『レアアース』の3人が歩いて登場する。
 歓声が鳴り響く。待ってましたと拍手が巻き起こる。これは『レアアース』の人気ゆえのものではない。敗者復活戦という催しを歓迎する拍手だった。

「同じく九州地方代表『HeartDrops』――中国地方代表『kibiDango』――北陸地方代表『Tef3』――」

 次々にチームが登場する。
 その度に歓声が強まったり戻ったりすることでチームの人気のほどが伺えた。目立って歓声が上がったのは、第1回戦で高評価を得たものの『ステラ・エトワール』に負けてしまった、東北地方代表『Milky wheel』。メンバー全員が150cm以下でありながらメリハリの効いた動きと卓越した表現力によって、印象強く観客の記憶に残っているチームだ。
 トリニティカップ公式サイトが公開したアーカイブ動画の再生数も他チームと比較して多い。敗者復活戦で特に期待されるチームの1つだった。

「関東地方代表『ブーケ』!」

 眩しいライトとキラキラした観客の瞳に迎えられて、桜映たちがステージへ駆け上がった。
 何万人もの視線は、どうしても少し緊張してしまう――だから桜映は敢えて客席のひとりひとりを順番に見つめていった。
 いろんな人がいた。
 桜映と同い年くらいの子がいた。中学生くらいの子もいた。髪のリボンが可愛い子がいた。友達と一緒に横断幕を掲げている子たちがいた。応援しているチームの名前を呼んでいる子たちもいた。ダンス部でまとまって観ている子たちもいた。桜映たちの家族や友達もいた。
 何万人いても同じ人は1人もいなかった。そんな当たり前のことに桜映は今更気が付いて、なんだか無性にワクワクしてきて、今すぐ香蓮やすみれに教えてあげたくなった。
 全16チームが出揃った。

「――改めて敗者復活戦のルールを説明します。事前に引いていただいたくじの順番で、各チームとも1曲のみ披露していただきます。審査員3名から得られる得点はこれまでと同じく最高150点ですが、特別ルールとしてこのBFスタジアムとオンライン観戦の皆様から投票を受け付け、順位に反映いたします」

 司会者が台本をめくりながらハキハキと読み上げる。

「オンライン観戦の皆様は画面下に投票フォームが現れていると思います。全チームの披露が終わった頃に投票を締め切らせていただきますのでお忘れなく投票ください。そして会場の皆様は、入り口で配られたペンライトと説明書をお手元にご準備ください。ペンライトは各チームに対応した16色が光るようになっておりまして、投票締切のときに光らせている色で、投票データが送信される仕組みになっております。オンラインも会場の皆様も、投票は1チームのみですので、よく吟味してお選びください!」

 会場のあちこちで鮮やかにペンライトが光る。桜映の希望で『ブーケ』のペンライトカラーはピンク色だ。早速、気の早い観客がそれぞれの推し色を光らせているなかにピンク色がないか見渡した。

「投票数の比率で150点を割り振って、そちらを審査員得点と合算したものが最終獲得点数となります。そして、上位1チームのみが敗者復活枠として2回戦へ! 直後の第3試合に臨んでいただきます! 以上が敗者復活戦のルールです。皆様、ご理解いただけましたでしょうか。大丈夫ですね? ――では、始めましょう! 敗者復活戦、皆様大いに盛り上がってください!」

 司会者がステージから消えるとステージは再び暗転した。
 出場校はいったんステージ下へ下がって待機させられる。順番はくじ引き済みだ。各チーム1曲だけとはいえ16チームとなると時間がかかるので、前半の8チーム以外は控室で待つことになっている。
 観客の視線が切れた途端に、ステージ下はわっと騒がしくなった。

「絶対勝つぞ! オー!」
「『レアアース』、ファイトー!」
「『Tef3』頑張りましょう!」

 そこかしこで敗者復活戦に向けて意気込んでいる。
 誰も彼も、瞳の輝きが違った。勝ち上がるのは自分たちだと言わんばかりにどのチームも気迫に満ちていた。

「円陣だよ! すみれちゃん、香蓮! あたしたちも!」
「もうちょっと待って。ほら、ここじゃ邪魔になるわ」
「うー! もー! 早く踊りたいよー!」
「かれんもわくわくが止まらないよ!」
「いまからそんな様子じゃ保たないでしょ。私たちは最後なんだから温存しておきましょう」

 両手をぶんぶん振り回してもだえる2人を、すみれがなだめて歩かせる。
 スタッフに誘導されてエレベーターへと向かう桜映は、ふと視線に気づいて振り向いた。
 離れたところの壁際から『ブーケ』の方を見ている、スーツ姿の男性と目が合った。
 三神皇だ。
 皇はにこにこと微笑んで見つめていた。

「さえちー、行っちゃうよー?」
「わー! 待って待って!」

 エレベーターの扉が閉まって、皇の姿は見えなくなった。
 それきり桜映が思い出すことはなかった。

***

 16チームによる立て続けのパフォーマンス。
 インターバルも少なめの連続ステージは、まるで熱に浮かされたように、観ているだけで体力を消耗さえる。
 敗者復活戦の出場校は1回戦以上に気合の入ったダンスを繰り広げ、つられて観客のボルテージも高まっていく。オンラインのアクセス数はとどまるところを知らない。ここが世界で一番熱い場所と言っても過言ではない。
 三神皇は堪えきれない笑みを口の端に浮かべている。

「これ、これです。世界が熱狂している。世界が踊っている。私の采配で。私の手のひらの上で。私の狙い通りに。
 でもこれだけじゃありませんよ。まだまだ終わりませんよ――激闘の敗者復活戦、すぐ後に開催される投票、それを経て勝ち進んだ1チームが2回戦を勝利し、決勝に進んだときの感動――そして、その感動ごと呑み込むように圧倒的なパフォーマンスを見せつける『蒼牙』。ギャラリーの皆さんは決勝戦の投票で、自らが敗者復活戦で引き上げたチームを自らの手で落とすことになると理解しながら『蒼牙』を選ぶことになる。今代の『蒼牙』なら間違いなく他に選択肢はないですからねぇ。圧倒的すぎて選ばざるを得ないでしょう。
 このアクションがとても良い。大事なのです。自分で選んだという実感は実際以上に『蒼牙』の存在を高めてくれる――それがトリニティカップの未来を盤石にする、最も効果的な手段なのですよ、ねえ父さん」

 皇は誰もいない空間へ独白する。
 客席の後方からステージと観客の様子を眺めながら、にやにやと自画自賛に浸っている。

「そして次に迎える『蒼牙』は12代目。トリニティカップも12年目、つまり3の倍数であり十の位と一の位を足した数が3になる記念すべき年だ。その素晴らしい年に、トリニティカップは海を越えるのです。世界大会ですよ。考えたこともなかったでしょう? 堪らないですねぇ」

 特別室で観ている御門がどんな表情をしているか、想像して楽しくなる。くつくつと喉が鳴る。
 しかしまだだ。まだプログラムは終わっていない。あとほんの数時間我慢するだけで極上の果実が熟れるのだ。どんな顔でどんなことを口にするのか、こればかりは未来を見通せても楽しみで仕方ない。
 誰かが噂で言っていた――結果の見えている大会は面白くないと。
 それは昨年の大会後に見かけたSNSの反応だった。それを見て、いかにもその通りだと皇は思った。10年連続で『蒼牙』が圧倒的なパフォーマンスを見せつける場として開催されてしまえば飽きを覚えて当然だ――もちろん歴代『蒼牙』が聞けば憤慨するだろうが。

「私のやり方は正しい」

 御門は、トリニティカップは競技としての大会であるべしと考えている。
 皇にその意識は低い。無いと言っていい。トリニティカップは全世界に注目されるエンターテインメントだ。面白くデザインされた催しであるべきだ。そのためなら多少手を加えても問題ない。むしろ手を加えていくべきだ。
 皇ならばそれができる。

「私は正しい。私の方がトリニティカップの未来を担うに相応しい。私の方が父さんよりも優れている。やっとわかったでしょう、認めざるを得ないでしょう。ねえ父さん、ねえ」

 御門には決して聞かせられないが――今年のトーナメントの対戦順番は、くじ抽選の体をしながら、秘密裏に皇が操作していた。
 出場チームは、皇が決めた組み合わせでステージを披露している。
 そして思い通りの勝敗結果がトーナメント表に刻まれている。
 世間が騒いでいた『ブーケ』とは早々に対戦させて、改めて『蒼牙』の実力を知らしめることにした。
 ヨーロッパ社交界の実力者である九条院惺麗の所属する『ステラ・エトワール』は別ブロックに組んでおいた。決勝戦を盛り上げるスパイスとしてだ。『蒼牙』と直接競わないところで素晴らしいパフォーマンスを披露させ、観客に「もしかして『蒼牙』に勝つのでは?」と期待させるためだ。
 どちらも皇の予想通りに進んでいる。
 その他のことも、未来を見てきたと錯覚するほど想像通りに進んでいた。
 敗者復活戦を勝ち抜くチームすら皇には見えている。十中八九――いや、1回戦の得点数と人気を考えれば確実に、昨日『ステラ・エトワール』に破れた『Milky wheel』だ。そうなれば決勝で雪辱を果たせるかどうかで、良い具合に盛り上がってくれるだろう。
 その組み合わせを創り上げたのは皇だ。
 すべて皇のアイデアで、皇の手腕だ。
 決して三神御門ではない。今後も御門の出番はない。この成功をもって皇は三神ホールディングスのすべてを手に入れるつもりだった。

「楽しみですねぇ父さん。いえ、『元』会長……」

 ――ステージでは、もうほとんどのチームがダンスパフォーマンスを終えている。
 全チームとも1回戦よりも格段にパフォーマンスが上がっている。今ここが全力のステージなのだと誰もが感じられた。誰もが見逃せば後悔するとばかりにペンライトを握りしめて見入っていた。皇が目論んだ通りの展開だ。

 キラキラと素晴らしいパフォーマンスを披露する出場チームたち。
 その輝きごとすべて自分が創り出したものだと思ったことが、皇の人生の分かれ目となった。

***

 桜映は控室でもずっとそわそわしてばかりだった。

「まだかな? まだかな?」
「いま始まったところじゃない。まだ15チームもあるわ」

「まだかな? もうすぐ?」
「さえちー、座って待ってようよ? まだあと10チームもあるよ」

「もうそろそろだよね? ね?」
「はは、そうだね。あと6チームだ。そろそろアップを始めようか」

「もう出番? もうそろそろ円陣組んでもいい?」
「まだ3チームあるけれど……はいはい、わかったわ。円陣して、その後ステージ下で待機しましょう」

「うー! もうちょっとだね! ワクワクするね!」
「かれんも、わくわくとドキドキが止まらないよ!」
「あと2チームね。振付の復習はもう大丈夫? 衣装もおかしなところない?」
「バッチリだよ! あと2チームだったら、円陣しようよ!」
「さっきやったじゃない」
「もう1回! もう1回だけ!」
「いいよ~!」
「しょうがないわね」
「やった! 集まって集まって!」

 ステージ下の廊下の隅で3人は近寄って右手を重ねた。桜映の掛け声で高く手を上げると、次の出番を待っているチームとスタッフの温かい視線が集まるのがわかった。
 敗者復活戦の16チーム目。『ブーケ』の出番は最後だった。
 控室に戻るときにはかなりの待ち時間だと思っていたが、落ち着きなく動き回る桜映を見ていたらいつの間にかもう出番だった。
 桜映の気合は少しも変わらず満タンだ。良いステージになりそうだと香蓮もすみれも感じていた。
 響いていた音が止み、拍手喝采のなか14番目のチームがステージから下りてきた。
 やがて待機していたチームが飛び出していくと、いよいよ次だと実感が強まった。
 待ちきれない様子の桜映が2人を振り返る。

「すみれちゃん、香蓮! 円陣、円陣やろ!」
「桜映……何回気合を入れたら気が済むの?」
「え、えへへ~」
「まあまあすみれちゃん。さえちーの気合タンクは無限大なんだよ~」
「そうそう! まだまだ何回だってできるよ!」
「桜映~?」
「冗談、冗談だってば! あと1回だけ!」
「わかったわ」
「やったー!」

 嬉しそうにはしゃぐ桜映と香蓮。やれやれといった口調のすみれも、心までそう思っていないのが表情に出ていた。
 3人で円になる。真ん中で重ねた右手を見つめながら、桜映が言った。

「敗者復活戦、どのチームもすっごくキラキラしてた。あたしたちもめいっぱい楽しんでダンスしようね!」
「ええ!」
「やっちゃうよ~!」
「でね……実は、ちょっと考えてきたことがあって。言ってみてもいいかな?」
「? なに?」

 さっきまでと違う流れだったので、すみれたちは桜映の顔を見た。
 桜映は重なった手を見下ろしながら、なんだか照れた顔でもじもじするばかりでなかなか続きを言おうとしなかった。しばらくして香蓮が促してようやく、意を決したように顔を上げた。

「リーダーとして、ふたりに次のステージのアドバイスを言います!」
「はい」
「ぱちぱちぱち」
「えっとね……――誰かに気持ちを伝えたい、笑顔にしたいと思ったら、たぶん、自分を打ち明けて、言葉と行動の全部で、心のドアをノックするのがいいんだと思う。すみれちゃんがしてくれたみたいに」
「――そうね」

 心のドアを叩いた記憶。
 よみがえるのは桜映の部屋を隔てるドアの温度と、夕焼けに染まった公園の匂い。
 そして――初めて声をかけられて戸惑った体育の授業と、全然ダメなのに心の底から楽しそうに踊っていた日暮れ前の河川敷を思い出した。
 あの日、言葉と行動の全部でぶつかられて、すみれは心を動かされた。
 はじめにすみれに『してくれた』のは桜映の方だ。

「それから――笑顔にしたい人のことを考えて、どうしたらその人が嬉しいのかなって考えて、何でもやってみようってするのが大事なんだと思う。香蓮がそうしてくれてたみたいに」
「かれん、何かやったかなぁ?」

 えへへへ、と香蓮は嬉しそうにはにかんだ。
 香蓮のことをチームに誘って、香蓮が衣装作りをしたいと言ったのを後押ししてくれたのは桜映だ。
 小さい頃から桜映は楽しいことを思いつく天才だった。どんなに無茶に思えても、最後には笑顔にしてくれるのが桜映の凄いところだった。
 笑顔にしたい人のことを考えているのは桜映の方だ。香蓮は桜映から教えてもらっただけだと思った。

「その気持ちでいれば、観てくれてる人もきっと笑顔になってくれると思う! だから香蓮、すみれちゃん。このステージもめいっぱい楽しんで、みんなをめいっぱい笑顔にしようね!」
「ええ!」
「はーい!」
「それで……ここまで来れたのはふたりのお陰だし、いっぱい迷惑かけちゃってるのはすっごくごめんって思ってるし……でもこれからももっとたくさん一緒にダンスしたいから、明日も明後日も来年もその次も、あたしと一緒にダンスしてください。――って、全然アドバイスになってないかも?」
「そんなことないわ。ありがとう、桜映」
「とってもリーダーっぽかったよ」
「よかったぁ」

 えへへと照れ笑いをひとつしたあと、桜映はきりっと表情を引き締めた。
 スタッフがそろそろ時間だと声をかけてくれた。
 桜映が言った。

「じゃあ行こう! ファイトオー『ブーケ』! レッツゴー『ブーケ』! ウィーアー……」

 緊張はない。ステージに向かう怖さもない。3人とも、あるのはワクワクした気持ちだけ。
 さあ出番だ――どんな笑顔を咲かせよう。
 重ねた手を高く掲げた。

「『ブーケ』!」

***

 敗者復活戦の最終チームが飛び出してきた。花護宮高校のチーム『ブーケ』だ。
 耳馴染みのいい、1回戦と同じ曲が流れはじめる。曲もダンスも癖がなくて覚えやすく、観客たちも自然と身体を揺らしてリズムを取っている。
 特筆すべきは3人の一体感だ。動きの速度や大きさまでばっちりと揃っていながら、無機質な印象に陥らずに躍動感たっぷりに踊っている。逆を言えば、まるで感情のまま体を動かしているかのように自然なのに、きっちりとシンクロしているところに目を奪われる。3人とも同じ気持ちでダンスしていることがよく分かった。
 とにかく楽しそうなのだ。
 いまとにかく心の底から楽しいと、表情や声音や仕草のすべてが表している。
 客席を取り巻いていた張り詰めた空気が爽やかな風に吹き飛ばされていく。
 なんだか自分たちも踊りだしたくなる。
 メンバーの子たちはどこにでもいそうな普通の女の子に見えて、ダンスだって練習すればなんとか出来そうな難しさで――真似してみたくなるくらい楽しそうに踊っているから、観客が目を離せなくなったのはきっとそこだった。
 自然と身体が揺れる。
 身体が動くと気持ちも緩む。
 そんな観客たちをセンターの子の歌声が、一緒に行こうよと歌詞に載せて後押しする。

「『ブルームアップ、私たちのダンス、私たちのステージで最高に咲きほころうよ。
  みんなと笑顔で――We can jump!』」

 タイミングを揃えてみんなで跳び上がる。
 1回目のサビで乗れなかった子たちも2回目に備えていたり、ジャンプはせずにリズムを取りながらペンライトを振ったり、観客たちは思い思いの様子でステージを楽しんでいる。
 これまでのチームと比べると熱狂度合いは低く見える。それでもステージから目が離せないのは、3人のチームワークと振付や衣装の可愛さと歌声の綺麗さ、そして咲きほこるような笑顔のせいだ。
 ふと観客の一人と、ステージ上のセンターの子の視線が合った――ような気がした。
 持っていたペンライトを振ったのはほとんど無意識だった。その観客に向かって、センターの子が笑顔を咲かせた。

「……」

 応援してもいいかな、とたちまちファンになる。そんなことが会場の各所で起こっていた。

「笑顔が可愛い」「楽しい」「目が合った」「もしかして手を振り返してくれたかも」「そんなわけないじゃん。振りの最中でしょ?」
「気のせいじゃないってば」「やば、私にもウインクくれた」「せーの、ジャンプ!」「覚えやすい振付だよね」
「見えてるのかな?」「たぶん見えてそう」「だから客席まで明るいのかも」「手拍子しても大丈夫かな?」「いいよね」

 隣の人とも目が合って一緒に手拍子する。
 友達と一緒に、周りの人と一緒に、みんなで一緒にダンスを楽しむ。
 笑顔の花が広がっていく。
 陽射しと同じ色の照明が照らす会場は、まるで一面の花畑だ。

「手の振り覚えた」「私も」「皆で合わせようよ」「そんなのしていいの?」「パフォーマンス中なのに?」
「いいんじゃない」「ほら、レフト側の人が一緒に振りしてる」「楽しそう」「私もやる」

 まるで誰も彼もチームの一員とでもいうかのように。
 ステージの上から観客たちを誘うその笑顔が眩しいから、つられて踊ってしまう。

「楽しい」「楽しいね」「『ブーケ』がっていうより、ダンスが楽しい」「ダンスって楽しいんだね」
「でも『ブーケ』はもっと楽しそう」「本当に楽しそうに踊ってる」「あんなに楽しそうにダンスできないや」
「私もあんな風にダンスがしたい」「あの人たちみたいにダンスしたい」

 私もきっと――と。
 満開の笑顔で全力のステージを披露する『ブーケ』の3人のように踊りたいと。
 憧れのまなざしでステージを見つめる女の子がぽつりと、私も、とつぶやく。

「私も、あの人たちみたいに、なりたい」

 センターの子と目が合う。聞こえるはずはないから偶然だろうけれど。
 その女の子の方を見てピンク色の衣装を着たセンターの子が悪戯っぽく微笑んだ。
 たったそれだけの出来事が、女の子の宝物になった。

「踊るの苦手だったのに」「観るほうが好きだと思ってたのに」
「誰かと一緒に踊るのって楽しい」「ダンスって楽しい」

 かつてステージと客席の間には見えない垣根があった。
 ステージはパフォーマンスを披露する場所で、その魅力に圧倒されたくて観客たちは客席に集まった。今年はどんな凄いパフォーマンスがあるのだろう、どんなに沸かせてくれるのだろうと期待して会場へとやってきていた。それがさっきまでのトリニティカップだった。
 観客たちの常識を『ブーケ』のステージが吹きとばす。

「観るだけなんてもったいない」「自分もこんな風にダンスしたい」「『ブーケ』のようになりたい」「『ブーケ』と一緒にダンスがしたい」

 こんなに楽しそうに踊る姿を観てしまったら――
 自分だってそうなりたくて、うずうずしてしまう。

 明るい光の下で笑顔とペンライトが色とりどりに輝いている。
 心と体のすべてで「楽しい」を表現した『ブーケ』のステージが終わる。
 ステージの中央から3人が笑顔を振りまく。最後の歌詞は、ひとりひとりの観客全員に向けられた。

「『一緒に行こうよ。We are One!』」

***

 敗者復活戦に参加した16チームがステージ上に集った。
 審査員の点数はすでに発表された。オンライン投票もすでに集計済で、これから始まる会場投票と合算して発表される。

「ペンライトの準備は大丈夫ですか。合図とともに16チームから1色だけ選んで、高く掲げてください」

 暫定1位は協調性の高いダンスを披露した『Milky wheel』だ。その後も僅差でダンス技術の高いチームが続いている。
 点数でみればほとんど団子状態だ。この投票結果がすべての勝敗を左右することになる。
 どのチームも、固唾をのんで発表を待つ。
 仮に16チームすべてに均等に票が入ったとすると1チームは約9点。20点あるいは15点でも獲得すれば勝ち抜けできる可能性はぐっと高くなる。
 しん、と静まり返る会場に、司会者の声だけが響き渡る。

「残すはこの会場投票のみ。決まりましたか? ――それでは一斉に、点灯してください!」

 その光景を、桜映たちは決して忘れることはないだろう。

***

「――なっ!?」

 皇の目に飛び込んできたのは一面のピンク色に染まった会場。
 ざっと見て過半数を超えているのがわかる。投票は所詮割れるものという皇の予想は全く外れてしまった。
 自分が予想した未来は確定事項のはずだ。思い描いた通りのことが起こるはずだ。こんな未来は見えなかったはずなのに。それなのに。

「あ、あり得ん、あり得ん、あり得ない……!」

 スタッフが怪訝な様子で近寄ってきたので、皇はなんとか取り繕ってその場を離れる。
 特に花護宮高校だけは駄目だ。このチームだけは勝ち上ってはいけない。このチームは『蒼牙』を引き立たせるために、1回戦で完膚なきまでに叩き潰されていないといけないのだ。そうなっていないと三神ホールディングスの沽券にかかわるのだ。
何より皇の描いたシナリオから外れるなど言語道断だ。
 勝たせてはいけない。何としても。
 敗者復活で上がったとしても――決勝まで進ませるわけにはいかない。

「結果発表を止めろ、オンラインの得票数を調整する。私が行くまで間を延ばせ――間に合わない? 間に合わせろ! 無理じゃない! 今すぐに――そうだ、司会者を止めろ。理由? 会長の判断? そんなもの――待て。待て!」

 皇自身気づいていないことだったが――
 皇が本当に恐ろしかったのは予想の及ばない未来に進むことだった。
 インカムに向かって指示を出しながら、廊下を足早に進む。
 それが人生の岐路と知らず、バックステージを自ら暗がりへ向かって駆けていく。

***

 まるでピンク色の花畑みたいだと桜映は思った。
 その中に黄色や水色や赤――他のチームのペンライトがちらほらと咲いている。ちゃんと数えればそれらも結構な数になりそうだが、一面のじゅうたんのように広がったピンク色には敵わなさそうだった。

「間違いじゃないよね……?」
「桜映……」
「さえちー……!」

 司会者の声が聞こえてくる。

「もうすぐ集計が終わります。集計結果はオンラインの方と合算して発表されます。さあ間もなく結果発表です――!」

 照明が落とされて、スポットライトが出場チームの上を滑るように通り過ぎていく。
 暗い会場をペンライトの色が一層強く染め上げた。
 そうだったらいいな――と桜映は願った。
 まだ踊り足りない。もっと3人で踊りたい。

(お願いします――もっとみんなで踊らせてください……っ!)

「敗者復活戦突破は――審査員得点139点、会場・オンライン観戦の皆様からの得票比率――なんと50%! つまり75点加算で総得点数214点! 堂々の1位です! 関東地方代表・チーム『ブーケ』!」

 スポットライトが桜映たちを真っ白に照らした。
 それでもまだ信じられなかったが、わあああ――と歓声が上がったとき、はじめて自分たちのことだと実感した。

「ありがとう――みんな、ありがとうございまーす!!」

 桜映たちが客席へ手を振ると、ペンライトの花畑がさざめくように揺れた。
 差し出されたマイクをおっかなびっくり握って、何か言いたいことを探してみた。

「――この次も、よかったら一緒に踊ってくださーい!!」

 歓声がそれに応えた。マイクを返して、もう一度3人で手を振った。
 司会者が段取りを進めていく。

「それでは、素晴らしいステージを披露していただきました参加チームの皆様に、大きな拍手を! これにて敗者復活戦、終了です」

 奥のチームから順番にステージ下へ降りていく。
 最後に『ブーケ』が降りたとき、狭い通路には先ほどの15チームの全員が待ち構えていた。
 射貫くように向けられた瞳があった。涙がこぼれそうな瞳があった。あっけらかんとした瞳があった。キラキラと憧れるような瞳があった。
 気圧されて、桜映の足が止まる。
 しかしそれも一瞬だけ。1歩前に進んで握りこぶしを高く掲げた。

「みんなの分まで頑張ります! 目指せ優勝! おー!」

 毒気を抜かれるように、険しさが少し和らいだ。拍手して応援してくれる人もいた。話しかけてくれる人もいた。泣きそうだった人も苦笑して送り出してくれた。
 頑張ってね――と口々に言われて、

「――頑張るよ!」

 決意を新たに桜映たちは進む。

***

 ステージの上から司会者がアナウンスする。

「関東地方代表・チーム『ブーケ』はこの後すぐの第3試合に登場です。30分の休憩を挟んでの開始となりますので、休憩と水分補給をしっかりしてお待ちください――」

 第11回トリニティカップも、残る試合はあと2つ。
 2日目最後の試合は、もう間もなく開始となる。


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