Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 一夜明けて快晴の土曜日。
 石山本願寺附属高校との合戦日である。
「おーす。集まってるな」

 本陣高校の生徒会一同と応援団、そして葵が時計を気にしてそわそわしているところに、ジャージのポケットに手を突っ込みながら下駄をカランコロン鳴らして有瓜がやってきた。
 一同の視線が下駄に集まって、有瓜は訝しげに眉を寄せる。

「何だ、どっか変か?」
「おはよう有瓜ちゃん。今日の種目だけど……」
「おう、何とかっていうやつだろ。フリーなんとか。クレーなんとかだっけ?」
「フリークライミングだよ! 岩とか崖を登る競技で……有瓜ちゃん、替えの靴は?」
「ない」
「クライミング道具は」
「なんか必要だったか? フリーっていうくらいだから手ぶらで来たけど」
「そ……そうだよね、そう思っちゃうよね。私がもっと詳しく説明するべきだったね。ごめんね有瓜ちゃん!」

 いやいやそんなわけないでしょと呆れる取り巻き一同も慣れたもので、しょうがないじゃん長谷部さんだし、よく考えたらいつものことだったわ、それより完全に遅刻ですよなどと無頼な野次を投げかけるのに、有瓜は笑って応えていた。
 有瓜が笑えば途端に不安が消えていく。有瓜の人望の源はリーダーシップでも身体能力でもなく、この笑顔かもしれないと思う葵だった。

「わははは――よし、いくか! 本願寺附属、落とすぞ!」
「おおー!」

***

 指定された公園は、うねる山道をひたすら登った先にあった。
 切り立った崖の中腹に広がる運動公園だ。一方には市内をどこまでも見渡せそうな景色が広がり、もう一方には天を突くような垂直の崖がそびえ立っている。地層が折り重なったものではなさそうで、葵にはただただ巨大な灰色の岩のように見えた。
 ごつごつとした手掛かりが、そこかしこにある。
 登りやすいかと思って見上げれば、てっぺん近くでネズミ返しのように岩が突き出していて、先端が下に伸びている。カタカナの『ワ』の形か、鷹の口ばしの形を連想させた。
 その鷹の頭上に輝く、正午ちょうどの太陽。
 眩しさに目を細めて、葵は視線を地上へ戻した。
 そこで石山本願寺附属高校と比叡山学園の生徒たちが待ち構えていた。

「ずいぶん待たせおって」
「時間は守ったほうがいい。競技を行うまでもなくこちらの不戦勝だ」
「時間だぁ? あー、時計持ってないからいま何時かわかんねーな。なぁ葵?」
「うん! 全然わからないね有瓜ちゃん」
「いや君、腕時計つけてるだろ」

 詰襟を着た細身の男子――石山本願寺附属の生徒会長が、葵の手首を指差して言った。
 葵と有瓜とすべての生徒の視線がそこに集まると、葵は自然な動作で時計を外してグーを握った。

「えいっ」
「壊した!?」
「それから針をランダムに回して……なるほどなるほど」
「そう――私の時計は壊れてましたし、しかも何時から止まっていたか分かりません」 「長い山道には時計なんて無かったしな。なら私らが時間通り来られなかったとしても不慮の事故だ。つーわけで不戦勝は無効だ無効!」
「無茶苦茶だ……」
「屁理屈も理屈のうちじゃ。こりゃ一本取られたの」

 僧服姿の筋肉質の男子――比叡山学園の総代が愉快そうに肩を揺らした。
 詰襟の生徒会長も呆れきった様子で、それ以上の追及をやめたようだった。

「自己紹介しておこうか。僕は石山本願寺附属高校代表、石上三歳」
「吾輩が比叡山学園総代、後奈良真言。――そちらの紹介は不要だぞ。お主らは有名ゆえな」
「そうか? 有名と言われて悪い気はしないな、わはははは」
「さすが有瓜ちゃんだね!」
「褒めてないがの。そして今回の試合じゃが」
「おう、早いとこ始めようぜ。この崖を登るんだろ? 頂上までの競争でいいか」
「まあそう急くな。こやつから先に訊いておきたいことがあるそうだ」
「ん?」

 石山本願寺附属の生徒会長が一歩前に出る。

「長谷部有瓜。僕らが今回の報酬に希望した、麓の公園のことだ。君にとってあそこはどんな場所なんだ?」
「どんな場所っつっても。学校から遠いしあんま使わないな」
「そうか。僕にとっては――僕らにとっては、大事な場所だ」

 石上は意志の強そうな瞳で有瓜を見つめた。

「部活動強化振興制度のせいでね。何代か前の生徒会長が使用権を取られてから取り戻す機会を窺っていた。――長谷部有瓜、僕は君に交渉を持ちかけたい。あの場所を渡してくれるなら、引き換えにどの施設でも譲ると約束しよう」
「大事な場所って、あの公園に何があるんだ」
「何も。ただ、僕らの中に思い出が」
「ふうん」

 有瓜はしばし吟味していた。有瓜と石上が無言で見つめ合う間、葵はそわそわと心配して横顔を見つめていた。

「嘘は言ってないようだな」
「有瓜ちゃん?」
「よくわかんねーけど、大事なら取り戻さねーとな」
「ああ。交渉で解決させてくれるかい?」
「断る」
「……どうして?」
「すっきりしないだろ、それじゃ」

 石上は怪訝な様子で眉をひそめた。そんな石上に、有瓜は笑顔を向けた。
 懐深くおおらかに、挑発的に歯を剥いて――王者の風格と獰猛さを隠すことなく露わにして。
 そして言った。

「欲しけりゃ勝ち取れ。そんでお前の思い出に胸を張れ!」
「……!」
「有瓜ちゃん、格好いい……!」
「本陣の。建前抜きならどうなんじゃ?」
「交渉なんてまどろっこしいことやってられるか!」
「ゆ、有瓜ちゃん!」

 面食らった石上の後ろで、堪え切れなくなった後奈良が笑いだした。

「だから言うたろう三歳よ。こやつに搦め手は無駄じゃ」
「ノーリスクで望みの施設が手に入るんだぞ。これ以上ない条件だ」
「これ以上はあるだろ。私が勝って、公園もお前のところの施設も手に入れる。ウィンウィンだ」
「うん、ウィンウィンだね!」
「誤用だぞそれ」
「まあまあまあ。三歳よ、よく考えてみい。交渉で取り戻したところで、あの娘が喜ぶと思うてか」
「それは、うん。そうだとしても」
「戦って勝て三歳。ここは我らが庭。それが最も簡単じゃろうが」
「――そうだね。普通に戦って勝つ、それが一番簡単だ」

 初めての明確な挑発に、有瓜がにやりと笑んでみせる。

「話はまとまったか? 言っとくが私は敗けないぜ」
「いや、君らは敗ける。何故なら僕らが勝つからだ。
 ――じゃあ試合を始めようか。競技は二人一組のフリークライミング。道具は自由、登り方も自由、応援も自由。どちらか片方がこの崖を登りきって、頂上に手を掛けた方が勝ちだ」
「いいぜ」
「オーケー」

 バッ、ババッ――詰襟と僧服を脱ぎ捨てると鍛え上げられた肉体が露わになった。
 石上と後奈良の二人は、背中合わせで、順番に声を張り上げた。

「長谷部有瓜包囲網、第一の刺客。『壁登り』石上三歳!」
「同じく第二の刺客、『山走り』後奈良真言!」
「いざ尋常に――勝負!」

 葵と有瓜が気に留めたのは同じところだった。

「長谷部有瓜包囲網ってのは何だ?」
「知りたいのなら――」
「我らを打ち負かして吐かせることじゃな!」

 ぶおぉ、ぶおぉ――
 法螺貝の音が、合戦の始まりを告げた。


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