Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



「新年あけまして……」
『おめでとうございまーす!』

 白い息も溶けて消えるほのかな陽気の下で。
 1月の晴れた空と、楽しみに集まってくれたお客さん全員に届くように、元気な掛け声が響き渡った。
 はるとまなぶ、桜映とアリサの声に合わせて、周囲から負けじと元気な返事が返ってくる。四人と同い年くらいのお客さんはもちろん、小さい子供を連れた家族も多く見受けられた。このイベントを楽しみにやってきているようだった。
 三神ホールディングス主催のお正月イベント――トリニティウインターフェスティバル。
 海沿いのイベントホールと広い公園を借り切って、羽根つきや凧揚げなど、エリアごとにお正月らしい催しを行うイベントである。
 人気の理由は、夏のトリニティカップに出場したチームが各エリアで来場者を迎えることであり、ステージを見て憧れた選手に直接会えるという、つまるところファン交流イベントだ。
 ダンスではない催しということで――桜映や香蓮と反対にすみれは別れ際まで終始不安そうな顔をしていたが――餅つきエリア担当の桜映は、文化祭で屋台を出すような気持ちでうきうきしてやってきた。一緒のテーブルを担当する蒼牙の鮫坂アリサやキュアエイドの薬師堂姉妹とも面識があったのでなおさら楽しみだった。
 地面から少しだけ高い簡易のステージで、晴れ着姿のはるがマイクに呼びかけた。

「みなさーん、つきたてのお餅、食べたいですかー?」

 はーい、とちびっ子たちから元気な返事。満足そうにうなずいて続ける。

「実は、私たちのテーブルでお餅つきをしてくれるはずだったお爺さんが、ぎっくり腰になってしまって、お餅をつけなくなってしまいました」

 えー! と悲鳴が上がる。
 控えめにこくりとアリサが頷く。知らなかった桜映だけが驚いてはるを見やった。

「でもご安心を! 私、薬師堂はると」
「薬師堂まなぶで」
「息の合った双子お餅つきを披露しまーす!」

 眠たげな瞳のまま拍手するアリサ。
 それなら一層楽しみ、とばかりに周囲から拍手が起こって、はるとまなぶは顔を見合わせてにっこり笑った。
 わー! と桜映も一緒になって歓声を上げていた。

「薬師堂先輩、お餅つきしたことあるんですか?」
「あるよ、小さい頃に近所の人たちと一緒にね。お隣さん家の石臼と杵を使って、ぺったんぺったんって」
「私がつき手で、はるちゃんが返し手。おばあちゃんに教えてもらったんです」
「そうなんですね! すごい、本格的!」
「それほどでもないってば」
「こっちは任せて。春日さんと鮫坂さんには私たちがついたお餅を丸めるのをお願いしますね」
「はい! 頑張ります!」
「ん……」
「それじゃスタッフさん、準備お願いしまーす!」

 呼びかけるとイベントの運営スタッフがさっと現れて、石臼と杵をステージに設置した。
 何か困ったことがあったらとりあえず頼るように、と主催の偉い人が言っていた。こんな風に助けてくれるならとりあえず何でも頼ろうと、のほほんと桜映は思った。
 他の餅つきテーブルも餅つきを開始したようだ。蒸されたもち米が各テーブルへと運び込まれていく。  そのうちの一つがはるとまなぶの目前にもやってきた。もち米が、十分に温められた石臼の中に放り込まれた途端、湯気と一緒に香りが辺りに広がった。
 ぐぐ~、とお腹の音に気付いて、アリサが桜映を見やる。
 桜映は照れながらマイクを持ち上げた。

「えへへ、お腹空いてきちゃった。それじゃ薬師堂先輩、よろしくお願いしまーす!」
「うん。いくよ、はるちゃん」
「はーい! いつでもいいよ」

 まなぶが勢いよく杵を――振り上げずに、杵の先で捏ねるようにぐにぐにと押し潰す。

「薬師堂先輩、ぺったんぺったんってしないんですか?」
「うん、それはもうちょっと後で」
「まずはまんべんなく潰して、ひとかたまりにしていくところからだよ」
「はー。そうなんですね」

 驚く桜映と同じように、観客からもちらほらと感心の声が上がる。アリサも珍しく――と言ったら本人に失礼と思い直しつつ――興味ありげに薬師堂姉妹の手つきを見つめていた。
 潰して返してまた潰して……をしばらく繰り返すのをみんなで見守った。

「――地味ですね!」
「そう言われても」
「もう少しです。だいたいまとまってきたよ」

 どれどれ? と桜映や観客が覗き込むと、最初よりもずいぶんと餅に近づいた白い塊があった。ちびっ子たちがはしゃいだ様子で見上げて、はるとまなぶが笑顔で応えた。
 まなぶが握り直した杵を振りかぶった。

「それじゃいくよ? 危ないから離れてね――それ、ぺったんぺったん」
「おおー!」
「ぺったんぺったん」
「ぺったんぺったん!」
「ぺったんぺったん……」
「ぺったんぺったん!」

 観客からの掛け声も揃って、つかの間の一体感を味わう。
 まなぶの杵が一定のリズムで叩き、返す手のはるが危なげなく餅を折りたたむ。みんなが感心したのはその双子ならではの息の合った見事なコンビネーションで、見る見るうちに餅は柔らかなかたまりになっていく。
 ぺったんぺったんと小気味の良い音。
 リズムに合わせて、桜映には二人がダンスしているようにも見えた。

「はるちゃん、そろそろいいかも」
「はーい。鮫坂さん、春日さん。そろそろ上げていい?」
「えっ? あ、はい! どうしたらいいですか?」
「白い餅とり粉があると思うから、台の上に薄く広げておいてください」
「台にくっつかないようにするための粉なんだよ」
「ん」
「これかな? ――こんな感じでいいですか?」
「うんうん。それじゃいくよ……よいしょー!」

 はるとまなぶが息を揃えて持ち上げる。あまりの柔らかさに、二人の手の間からぐにょんと垂れ落ちそうになるところを急いで台まで運ぶ。餅はのっぺりと台の上に広がった。

「あつーい! 二人とも千切るとき気を付けてね」
「わかりました!」
「私が丸め方を教えますね。スタッフさん、その間に次の準備をお願いします」
「まなぶ先輩、よろしくお願いします!」
「うん」
「よーし、やろうやろう!」

 スタッフが石臼に熱湯を入れて温めている横で、四人で小餅づくりに取り掛かる。

「あつつ……お餅すっごく熱いです!」
「ね、言ったでしょ? でもガマン! 固まっちゃったら大変だから!」
「一緒にやるね。お餅の端を摘まんで、親指と人差し指を輪っかにして絞るようにして……そうそう」 「えへへ、やった!」
「……できた」
「わ。鮫坂さん、器用だね。丸める必要もないくらい」
「ん」
「鮫坂先輩すごーい!」
「春日さんも上手だよ。それじゃ、味付けしたら完成です」

 観客たちも待ちわびた顔をしている。
 きな粉を広げたバットに転がして、たっぷりとまぶしたら紙皿へ。
 いざ完成となったらなんだか緊張して――お箸の他には何かいるんだっけ、などともどもどする桜映の手を横からアリサが押し出した。桜映の紙皿が、目の前にいた女の子の手に渡った。

「お姉ちゃん、ありがとう」

 そう言われて、桜映もようやく満面の笑みを浮かべた。

「召し上がれ!」

 見回すと三人とも微笑んでいて、桜映は照れくさそうにピースサインを作った。
 そこからは息もつけない忙しさだった。
 皆が美味しそうに食べる様子を視界の隅で確かめつつ、急かされるように小餅を千切った。食べ終わった人がおかわりと言いながら戻ってくると心まで温かくなる。
 なんだかそれがくすぐったくて、四人はときどき顔を見合わせて、はにかみ合った。

「急がなくてもまだまだあるからね!」
「順番ですよ、慌てないで。もし喉に詰めた方がいたら言ってくださいね」
「……きな粉……しょうゆ……のり……きな粉……」
「鮫坂先輩、速いです!」

 盛況が続いたお陰で、手元の餅が固くなってしまう前に配り終えることができた。
 一息ついて桜映が見回すと、満足そうな顔が半分、物足りなさそうな顔が半分といったところだった。
 隣でははるとまなぶが子供たちに次を急かされていて、申し訳なさと嬉しさの中間の表情でなだめていた。アリサはその横で写真を求められてポーズをとっていた。
 思い出したような1月の気温が、火照った桜映の頬を落ち着かせる。

「春日さん、ほっぺた白くなってる」
「ほんとですか? ありがとうございます……はる先輩もおでこ、ついてますよ?」
「あちゃー、気を付けてたのになぁ。まなぶ、手鏡持ってる?」
「持ってるよ。はい」
「ありがと! 春日さんからどうぞ」
「あ、すみません! それじゃお先に」
「それにしても――ねぇまなぶ。もしかしてだけど、私たちまだ失敗してなくない?」
「はるちゃんも気付いた? ボウルもひっくり返してないし、臼だってまだ割ってない……」
「割るって……やだなぁ先輩、石臼ですよ?」
「春日さん、石臼だから割れるんだよ」
「石だからね!」
「そ、そうなんですか……!」
「後でミチルに自慢しなきゃ! 私たちだってお餅つきくらい出来るよって!」
「そうだね。というより、私たちに向いてるんだと思う。得意分野かも」
「んー! 自信でてきた! 早く次行こう、次!」
「……つぎ」

 にょっきりと、アリサがはるとまなぶの間から顔を出す。
 両手にボウルを持っていて、一つには緑色の粉が、もう一つにはピンク色の粉が入っている。

「これって――ヨモギと小エビの粉末?」

 尋ねるはるにこくりと頷く。

「……いろいろ。おもしろい」
「色々?」
「面白い……?」
「――あっ、分かりました! いろんな味付けのお餅があったほうが、お客さんたちももっと楽しめるってこと! ですよね、鮫坂先輩?」
「ん」

 含みありげにアリサが笑顔を作る。表情自体はあまり変わらないのに、どこか悪戯っぽさを思わせる、にんまりとした笑顔に見えた。
 まなぶは口元に手を当てて考えた。

「最初に捏ねるときに混ぜたらできるかな?」
「そうそう! おばあちゃんがそうしてたと思う」

 たしかそう! とはるが力強く言い切ると桜映がそれに乗っかった。

「混ぜるだけなら簡単ですね!」
「簡単簡単!」
「でしたら先輩、あたしも作ってほしいお餅がありまして……」

 桜映がテーブルの下から何かを取り出した。
 鮮やかなピンク色をした桜でんぶの大袋だ。

「桜でんぶのお餅って、絶対ぜったい可愛いですよ!」
「可愛さ? おいしさじゃなくって?」
「入れたら入れただけ可愛いくなると思うんです! あたしたくさん持ってきました!」
「たくさんって――ああ、春日さん、そんなに桜でんぶばっかり何袋も出さなくって大丈夫だから」
「……まって」

 小さく、しかし鋭くアリサが制止する。
 テーブルが桜でんぶで埋まってしまう前に、アリサは下から一抱えほどもある瓶を取り出してドンと置いた。黄色いクリームがたっぷりと詰まっている。

「……カスタード」
「お餅につけるの?」
「……まぜて、つける。カスタードまみれ」
「や、それならもうカスタードだけすくって食べたらいいんじゃないかな。――ニヤっと笑ってないで。分かってるねみたいに思ってないで」
「はる先輩! 桜でんぶももちろん混ぜたあと振りかけて食べますよ!」
「どっちも限度があると思うなぁ」
「ううん。はるちゃん、もしかしてこれってチャンスじゃないかな」
「チャンス?」

 真面目な顔で頷いて、つまり、とまなぶは人差し指を立てて言った。

「レベルアップ」
「レベル?」
「お餅つきをするだけなら、今までの私たちのまま。ここから一工夫できるようになったら――例えば大福が作れるようになったら、それって料理レベルが上がったって言えないかな」
「言える……!」
「そうしたらもっとおばあちゃんのお手伝いができるようになるんじゃないかな」
「うんうん、なるなる!」

 明るい想像を膨らませる二人の横で、桜映とアリサが後先を決めていた。じゃんけんに勝った桜映が石臼のサイズと桜でんぶの大袋を見比べていた。

「桜でんぶはどれくらい入れたらいいかな? ……とりあえず最初は一袋かな!」
「というかまなぶ、だったら私もブルーベリーのお餅作りたい! 材料あるかな? スタッフさんにお願いしていいよね?」
「良いと思うよ。私も折角だからいろいろ試したいかな。漢方とか」
「エナジードリンク!」
「チョコ大福もバニラアイス大福もあるんだし、ケーキ大福があってもいいよね」
「はる先輩、まなぶ先輩! 海老と苺クリームも一緒に入れていいですか?」
「……カスタード」

 やいのやいのと楽しげにはしゃぐ桜映たちの、ワクワクキラキラとした様子に惹かれて近寄ろうとしたちびっ子を母親が抱き上げて遠ざけた。そそくさと去って行く。
 先ほどまでの盛況はどこへやら、桜映たちのテーブルの前にはぽっかりと無人の空間が広がり、怖いもの見たさの観客が遠巻きにしているだけだった。召し上がれと言われたらかろうじて聞こえなかったフリができる距離であり、万が一にも目が合わないようにとどこか張り詰めた空気が漂っていた。
 ステージの上に新たなもち米が運ばれてきた。
 何かが始まろうとしていた。杵と臼を使った餅つきではない何かが。

「そーれ!」

 どこまでも澄み切った空のような、疑問などどこにも見当たらないといった掛け声とともに桜でんぶが投入された。石臼からピンク色のもやが立ちのぼる。
 次の桜でんぶの準備をする桜映。隙あらばカスタードを注ごうとするアリサ。にこにこ顔のはるとまなぶが軽快なタップを奏ではじめる。
 世にも恐ろしいフェスティバルの幕開けであった。

「そーれ、ぺったんぺったん――」
「ぺったんぺったん――」

***

 ――そこまで伝えたところではるとまなぶが一呼吸置いたので、ミチルは視線を外して何となく夕暮れ空を見上げた。人は考え事をするとき、目線を上に向けるらしい。視覚情報を遮断して思考に集中するためだという。
 たしかに目の前にはシャットアウトしたい景色が広がっていた。しかし目を逸らしているわけにもいかず、仕方なくミチルはテーブルと、テーブルを囲むはるとまなぶ、春日桜映と鮫坂アリサへと視線を戻した。

「――それで?」
「うん、それでいろんなお餅を作ったの。こっちがブルーベリーで、こっちが醤油カスタードでなんちゃってウニ風味、右からキャラメルでんぶ紅しょうが、さくらんぼマヨでんぶ、練乳塩ケーキ、特効薬スペシャル」
「紹介はいいわ。それで――あなたたちは何をしているの」

 テーブルを賑やかに埋め尽くしているのは、毒々しいまでにカラフルな小餅の数々だ。そこに突っ伏して動かないアリサと、椅子にもたれて放心状態の桜映。涙目のはるとまなぶがひとつまたひとつと小餅を口に放り込んでいた。
 冷ややかに見下ろすと二人がひーんと泣いた。

「だって誰も食べてくれなくて……」
「私たちで食べないと。うう……」
「当然ね」
「助けてミチル!」
「嫌よ」
「ミチル~~!!」

 迎えに来たつもりだったが、一人で帰ることにしたミチルだった。
 悲鳴を無視して立ち去ろうとして、しかしふと思い出して踵を返す。
 戻ってきてくれたと表情を輝かせるはるとまなぶの、向かいの席の桜映の肩を両手で掴む。ふっ、と力を込めるとびっくりした桜映が目を覚ました。

「あとはその狸寝入りを起こして片付けなさい」
「ミチルも手伝って~!」
「嫌よ」
「ミチル~~!!」

 しぶしぶアリサが起き上がるのを見届けて、今度こそミチルはステージを降りた。
 トリニティウインターフェスティバル。後の祭りは先に立たないもので――残されたはるたちのフェスティバルは、まだまだ終わりが見えないのであった。





–END–


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