Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 早く大人になりたいと思っていた。
 すらっとして背が高く、優雅で落ち着いた雰囲気の女性。
 すみれが初めて見たバレリーナは、まさに思い描く理想の大人だった。

***

 桜映は今日も学校に来なかった。
 放課後まで授業を受けたあと、すみれは一人で、桜映の部屋の前までやってきていた。
 香蓮の姿はない。校門で別れる時にこう言っていた。

「さえちーのことは心配だけど――でも、どうしても今日行かなきゃいけないところがあるの。ごめん、すみれちゃん!」
「ううん。わかってる」

 香蓮の目を見ればわかる。心配に揺れていた、昨日までの瞳ではなかった。

「こっちは任せて。香蓮は香蓮にしかできないことで、桜映を迎えてあげて」
「うん! 行ってきます、すみれちゃん!」

 香蓮が見つけた、桜映のためにできること。それがどんなことなのか楽しみだった。
 商店街の方へ足早に駆けていく後ろ姿を見送って、すみれも自分にできることに向かって歩き出した。
 そうしていま、桜映の部屋までやってきた。
 ドアは固く閉ざされている。
 会えるかもしれないと少し期待していたが、会えないならそれでも構わない。これからする話は、すみれが一方的に言いたいだけの内容だ。

「ねえ、桜映」

 どう話すか散々考えたのに、言葉が震えた。
 仕方がない。言いたいだけの話をするなんて、初めての経験だから。

「まず、ごめんなさい。私、桜映のことを分かったつもりでいて、全然そんなことなかったって気づいたわ。桜映はいつも元気で素直で、悩みなんて笑って吹き飛ばせる人だって勘違いしてた。でもそうじゃなかったのよね。桜映が自分の気持ちを打ち明けてくれたから気づけたの」

 桜映が抱えていた焦りも不安も、いまならわかる。
 新しい試みのことを何度も主張していたのは、考え抜いた結果必要だと思ったからだ。
 すみれが自分の方法論にこだわっている間に、桜映はひとりで悩んだのだ。

「私が突っぱねたりしなかったら、桜映がひとりで悩むことなんてなかったのにね。そうしたら一緒に考えられたかもしれないのに」

 桜映を追い立てていたものも、すみれに重くのしかかっていたものも、思えば全く同じだったのに。
 すみれは、じっと堪えるように桜映の反応を待った。
 まぶたを下ろして、自分の呼吸を何度か数えた。部屋の中からは物音もしない。
 けれど、伝わると信じていた。

「打ち明けてくれたから――だから今度は、私が桜映に打ち明ける番。上手くまとめられるかわからないけど、聞いてね。
 私がダンス――バレエを始めたのは小学校に入った頃だったわ。母さんと父さんと一緒にバレエ団の公演を観に行ったことがあってね、それから自分もやりたいって言ったらしいの」

 もう憶えていないような小さい頃のことだ。
 両親から聞いた思い出を手探りするようにして続けた。

「大人になりたいって、私よく言ってたみたい。初めて舞台で見たバレリーナは綺麗で、芯があって、私の理想の大人の姿だった。だから思ったの。バレエを練習すれば早く大人になれるんだって。
 ――おかしいでしょ。でも長い間、そう信じていたのよ。
 レッスンに真面目に通って、家に帰ったら母さんの手伝いの合間に練習をして。送り迎えの車の中で、今日は何ができるようになったとか、何を褒められたとか、嬉しそうにしゃべってたみたい」

 もともと体を動かすのは苦手ではなかったし、出来なかったステップを一つ一つ自分のものにしていくと、まるで世界が広がるような気さえした。すみれはバレエがますます好きになった。

「しばらくして妹が生まれて、弟も生まれると、家の中は一気に忙しくなった。学校が終わるとすぐ帰るようにして、料理の支度や妹たちの世話の仕方を覚えた。母さんも仕事が好きで復帰していたし、両親の負担を減らせるように頑張ったの。
 特別仲の良い友達もいなかったから、家のこととバレエにじっくり打ち込むことができた。コンクールにもたくさん出た。忙しくて、父さんと母さんが観に来れない日もあったけど、良い賞をもらったら家族みんなで喜んでくれたわ」

 家族はみんな応援してくれた。妹や弟は覚えたての言葉で、お姉ちゃん頑張れなんて言ってくれて。
 嬉しかったけれど――だんだん、そうじゃないと思い始めた。

「中学生のある日、私と母さんにバレエ教室の先生から話があったの。ちょうど大きなコンクールで賞をもらったすぐあとだった。先生は私をいつも応援してくれていて、もっと上を目指せるように遠くの教室を紹介したい、って言ってくれた。母さんも、それを聞いた父さんも喜んでくれた。私の頑張りが認められたんだって本当に喜んでくれて、一人暮らしの準備まで考えてくれたけれど――私はそれを断った。そしてそのとき、中学校を卒業したらバレエをやめようって決めたのよ」

 桜映の様子を伺った。
 すみれは桜映の部屋のドアにそっと触れながら言った。

「両親は驚いていたけど反対しなかった。私のしたいようにすればいいと言ってくれたから、私はあっさりバレエをやめた。あんなに好きだったのにどうしてって訊かれると……なんとなく、っていうのが一番しっくりくるけれど」

 大好きなバレエは一人きりで自分を磨く場所だったから。

  「他にも理由があるとしたら、私のバレエには、一緒に踊ってくれる人がいなかったからかもしれない。
 だからいま、とっても楽しいの。桜映と香蓮と三人で踊るのが、とっても。桜映はどう?」

 一歩壁から足を離す。すみれの話は、これで終わりだった。
 沈黙したままのドアに、ふとすみれは思い出して、独り言のように呟いた。

「桜映と香蓮ともっと早くに出会えていたら、どうなっていたのかしらね」

 また明日ね、と言って背を向けた。
 桜映の家を出て、夕暮れの街を歩く。随分長居してしまったようで、久々の晴れ空をオレンジ色の夕陽が綺麗な色に染め上げていた。
 と、道の向こうで大きく手を振る人影が見えた。香蓮だ。
 両方から近づいて、ちょうど小さな公園の入り口で足を止めた。
 香蓮は右手に手芸店の袋を提げていた。その紙袋が今日の外せない用事だったようだ。
 香蓮、それは? と尋ねようとしたところで、香蓮が驚いた顔ですみれを見た。
 いや、すみれを見たのではなかった。すみれの後ろへと、香蓮は視線を向けていた。
 ――後ろで誰かが息を切らしている。
 すみれが振り返る。
 思いがけず、でも期待通り、パジャマ姿で、ウィッシュを履いた桜映が、膝に手をついて息を整えていた。
 驚いてすみれと香蓮が言葉を失っている間に、桜映がキッと顔を上げた。

「――すみれちゃん!!」
「は、はい!」
「いつ、なんて関係ないよ。いつ出会っててもあたしもすみれちゃんも香蓮も、友達になったはずだよ!」

 香蓮が目を丸くする。すみれの脳裏にも、いつか三人で合宿をした思い出が眩しくよみがえった。

「それにすみれちゃんがもしダンスをやめるなんて言ったら――あたし、ぜったい反対するからね!」
「――桜映。その、私この間はひどいこと言って――」
「ううん、それはあたしも。あたし、すみれちゃんにちゃんと謝りたかった。仲直りして、またみんなでダンスしたいのに、どうしたらちゃんと伝わるか考えても全然思いつかなくって」
「私も一緒。わかるわ。桜映の気持ちは痛いくらい伝わったわ」
「ううん、全然足りない! もっと、もっと全部伝えたいの! だからすみれちゃんも香蓮も――見てて!」

 桜映は公園に飛び込むと、その中央で振り返って大きく息を吸い込んだ。
 驚いた二人の耳に、聞こえてくる桜映の声。
 桜映の歌だった。
 メロディーを伴って二人に届く。
 即興のダンスに合わせて桜映が歌っている。
 大きな動きに感情をめいっぱい載せて、踊りながら歌っている。

 桜映の感情が歌になり、ダンスが大きくアクセントをつけて、メロディーがすみれの胸を震わせた。

 歌が終わるまで、二人は瞬きを忘れて桜映を見つめた。
 透き通った声がやがて収まって、スポットライトから降りるように桜映は一歩ずつすみれに歩み寄った。
 両手を差し出すすみれ。その途端、堪えていた涙が一筋、頬を伝った。

「ごめん、すみれちゃん!」
「ごめんね桜映」

 堰を切ったように泣きだしながら、桜映とすみれはお互いを抱きしめた。
 二人を包み込むようにして香蓮も抱きついて、三人はただただ目を腫らして泣いた。

***

 後日のことである。

「――君のバレエには一緒に踊ってくれる人がいなかったって? まあその通りだろうけどさ。僕のことなんか顔も覚えてなかったみたいだし。君はそんなやつだよ、水川すみれ」
「ご、ごめんなさい……」
「あぁ心配して損した。勘違いしないで、別に水川すみれを心配したんじゃないよ。関東大会でブーケのやる気がなかったら須藤さんが心配するし、惺麗はうるさいだろうし、僕は僕のために訊いただけだから君が謝ることは何もないよ水川すみれ」
「ええと……ごめんなさい、和泉さん」

 すみれは、通っていた教室の先生からバレエ団の公演に誘われて見学に来ていた。
 入口でばったり、晶に出会った。ぎこちなく挨拶しながらホールの後ろ側に並んで座った。
 晶が、最近ブーケの調子はどうだと訊いてきたので、ケンカをしたことを詳しく説明したら怒られた。当然かもしれない。
 晶はすみれとしゃべっているとよく拗ねる。けれどからかっているだけのときもあると、少しずつ分かってきたすみれだった。

「それで、ブーケはどうなのさ」

 晶が改めて尋ねてきた。どうなのだろう、と少し考えて、すみれは力強く微笑んだ。

「関東大会、優勝は私たちよ」
「……水川すみれらしくない言葉だけど」
「そうかしら。でも、そうなると思うわ」

 ぜったいにね、と微笑んだ。
 晶は、声を殺してひとしきり笑ったあと、挑戦的にすみれを見返した。

***

 香蓮とすみれは、桜映の部屋に押しかけて、香蓮が作ったばかりの衣装を広げて見せた。

「えへへ、じゃーん!」
「わあっ、かわいいね!」
「それにとっても動きやすそう。さすが香蓮ね」

 得意げに香蓮が胸を張ってみせる。
 桜映は嬉しそうに自分の衣装を何度も裏返して眺めていた。
 すみれも自分の衣装を持ち上げて眺めている。すみれと香蓮の衣装には腰から垂れた大きなリボンがあるが、桜映のものだけ色も形も大きく違う。

「さえちーには、すみれちゃんの水色とかれんの黄緑色を入れたんだ。これで、かれんたちがいつも一緒だからね。忘れちゃだめだよ?」
「忘れないよ! ありがとう、香蓮」

   左脚を包み込むような三色の布を、桜映は大切そうに撫でた。

「香蓮の手芸には、いっつも助けられてるなぁ」
「んー? かれん、なにかしたっけ?」
「覚えてないかなぁ。小学校のとき、あたしが破いちゃった服を繕ってくれたことがあったでしょ。お母さんに裁縫のやり方を教わって一生懸命直してくれて。お気に入りの服だったけど、それからもっと大切になったんだよ」
「――そういえば、そんなこともあったねぇ」

 新しい衣装を抱きしめて、早速着てみようとはしゃぐ桜映を見つめる。
 どこか満たされた気持ちで、香蓮は桜映に抱きついた。

「えへへっ!」

***

 元気に練習に復帰した桜映に胸を撫で下ろしつつ、咲也は何日かぶりに揃った三人に新しい曲と振付を用意して持っていった。
 関東大会までの残りの時間を考えて、最も勝ちに近づける選曲と振付を組んだつもりだ。
 これまでの経験を昇華させる形で高いレベルを目指せるだろう。自分としては大満足の出来だったのだが。

「というわけで、新しい練習なんだけど――」
「はい先生! あたしたちから提案があります!」
「ん? はい春日さん。提案って?」
「新しい曲なんですけど、こんなことがしてみたくって!」

 桜映があれこれこうしたいといったことを身振り手振りを交えて一生懸命に説明する。
 それを聞いて咲也はぽかんと口をあけた。開いた口がふさがらず、はっと我に返って吟味する。

「……たしかにそれは。大会規定にも抵触しないけど……いや、アリだ。うん、いけるよ春日さん!」
「それで、それに合わせていろいろ準備しなくちゃいけないんですけど、曲と振付はできるとして、――なんて作ったことがなくって……」
「うん、そっちは僕の方でなんとかしてみるよ。任せてくれ」
「ありがとうございます!」

 笑って請け負う咲也に声を揃えて礼を言う三人。咲也は持ってきた資料を丸めてポケットにねじ込んだ。
 さて、と咲也は考える。この案はトリニティカップを激震させるだろうけれど、関東大会までに完成させるには準備すべきことが多すぎる。

「それにしても、生徒に教えられてばっかりだ……やっぱり、締まらないな」

 反省しつつ、しかし思い悩むことはしない。
 自分はトレーナーだ。彼女たちをサポートして伸ばすのが咲也の役目だ。
 新曲をどんなイメージにするか、桜映たちがわいわいと相談している姿が眩しく映る。
 猛烈なスピードで進化していく彼女たちとどこまでいけるか。
 そう思うと咲也自身、胸の高鳴りが止まらなかった。

***

 関東大会は静かな熱気に包まれて始まった。
 ステージの順番はその場で抽選され、トップバッターは都大会3位通過の花護宮高校、チーム『ブーケ』。
 誰もが張り詰めるようなプレッシャーに圧されている中、花やかにステージに躍り出た三人のパフォーマンスが始まった。
 歌が、響き渡った。
 静まり返ったステージから、曲でもダンスでもなく、透き通った声が観客を貫いた。
 どよめく客席は、歌に合わせて始まったダンスで徐々に静まり、やがて歓声に変わる。
 ダンスと歌の融合。そのステージはもう遠い昔に廃れてしまった時代の再来を予感させた。
 その日のニュースではこの事件が大きく取り上げられ、ブーケの知名度は一気に全国に広まることになる。

 ――一方で。
 関東大会でブーケが歓声を受けている頃。
 同じく歌とダンスを組み合わせ、かつ完成度の高いステージを披露し、大絶賛の嵐を巻き起こしたチームがあった。
 獅子王大学付属高校、現クイーン。
 チーム『蒼牙』。

 この2チームの運命はこれから大きく絡まり合うことになる。



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