Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



「まあまあ、場所が確保できたのはよかったじゃないか。何も無理やりというわけじゃあない、惺麗くんだってノリノリだったさ。惺麗くん家はすごいぞう。トレーニングルーム完備だし二チームくらい寝る場所にも困らないぞ。人の家だから気が引ける? いやあ一度行ってしまえば割とどうでもよくなるぞあれは。万事この僕に任せておきたまえ!」

 そんな星司に丸め込まれ、瞬く間に週末がやってきた。
 とりあえず手土産の菓子折りをぶら下げて、咲也は花護宮高校の最寄駅に一番乗りしていた。
 昨日まで降っていた雨も無事に上がり、朝も早くからさんさんと太陽が輝いている。夏を先取りしたような気持ちのいい快晴が、仲良さげにこちらに向かってくる桜映、すみれ、香蓮の三人の空に広がっていた。

「東先生! おはようございます!!」
「おはようみんな。昨日はゆっくり寝れたのかな」
「はい。私と香蓮はいつも通り眠れたんですが……」
「さえちー、ワクワクして寝れなかったみたいなんです」
「春日さんが? 体調は平気かい?」
「平気です! すっごく頭が冴えて体が軽いんです! いまなら蒼牙のダンスも踊れちゃうくらい!」
「落ち着いて桜映。人前なんだから、急に踊ったり歌ったりしないの」
「完全に徹夜のテンションだろうけど、普段どおりと言われればそんな気もしてくるね。電車に乗ったらゆっくり寝かせてあげようか」
「あ。先生もさえちーのこと、わかるようになってきました?」
「もちろん。これでもブーケの一員だからね」

 咲也がそう言うと香蓮はどこか嬉しそうにはにかんだ。そんな香蓮に笑顔を返しつつ、咲也は下ろしていた鞄を担いだ。
 集合時間ちょうど。そろそろ電車が来る頃だ。

「さあ行こう」
「はい! ブーケ、しゅっぱーつ!」
「さえちー、かばんかばん! 忘れ物だよ!」
「桜映! そっちは反対ホームよ!」
「やれやれ……」

 騒がしく電車に乗り込むと、案の定桜映はすぐに寝てしまった。一駅と保たず、香蓮ともたれ合いながら静かな寝息を立て始める。
 目的駅は前回の聖シュテルンとの練習試合のときよりもう少し遠い。そっとしておいて、咲也は星司へ無事出発したメールを送った。

「本当に九条院さんの家にお邪魔して、迷惑じゃないんでしょうか……」

 咲也は隣に座るすみれを見やった。

「水川さんはこういう経験はあんまりない?」
「昔から放課後はバレエのレッスンが多かったので、友達の家に上がったこともあんまりなくて……妹と弟が小さいので、うちに呼んだこともないんです。まして九条院家といえば私でも知ってるくらいの名門ですし……場違いなことを言ってしまったりしないか心配です」
「そうなんだ。水川さんならどんなお宅でも大丈夫だと思うけど」

 具体的なアドバイスができればよかったが、咲也も九条院家のことは詳しく聞いていない。まぁなんとかなるだろうとすみれに笑う咲也。

「そんなときは一番大変な場合を想像するといいらしいよ。そうすると、いざその状況になったとき、なんだこんなもんかと思って気が楽になるんだって」
「いいかもしれませんね。じゃあたとえば……庭にバラ園があったり、とか」
「端が見えないくらい廊下が長かったり」
「執事のおじいさんがいたり?」
「そうそう、それでその執事さんがリムジンでお迎えに来てくれたり」
「なら、そのリムジンの天井がプラネタリウムになっていたりとか」
「それはロマンチックだ。じゃあ乗るにはドレスが必須だね」

 話すうちに緊張もほぐれてきたようで、咲也とすみれはさすがにそんなのないないと言い合いながら楽しそうに過ごしたのだった。

***

 それが全部当たるとはさすがの咲也も想像していなかった。
 ブーケの一行は九条院家からの迎えの高級外車に揺られていた。

 リムジンである。
 王道の中の王道、フルストレッチリムジンである。
 車体の長さは八メートル超。客室だけで八名も乗れてしまう。その高級感には定評があり、結婚式など特別な用途で利用するタクシーや一風変わった車内パーティー会場として、一度か二度、街中を走っているのを見たことがあった。

「…………」

 だが、いざ自分たちが乗るとなると現実感は全くなかった。本当にこの長さで交差点を曲がれるんだろうかという疑問すら咲也たちの頭には浮かんでいたが、初老の穏やかそうな執事の方が開けてくれたドアを断るような選択肢はもちろんなかった。
 恐る恐る乗り込んだシートは高級そうな革張りで、高反発かつ柔らかく咲也の体重を受け止めた。
 隣ですみれが悲愴な面持ちでシートを撫でていた。

「汚したらいくらかかるのかしら……」
「大丈夫だから。平気だから」

 星司に九条院家のことを詳しく確認しなかったのは失敗だった。
 渋い顔で眉間を押さえる咲也の袖を桜映がぐいぐいと引く。

「先生、ここ冷蔵庫になってる! 中もちゃんと冷たい! すごいすごい!」
「テレビが三台もあるなんて、どれを見ようか迷っちゃうね!」
「このボタン、何かな? 押しても平気かな? 平塚さん、いいですか? ――えい! わぁ、天井がプラネタリウムになったよ! きれいきれい!」
「二人とも、ちょっと落ち着こう。な?」
「そうよ桜映、香蓮。壊しちゃったらどうするの」

 えへへと笑って座りなおす二人に、すみれは諦め半分、尊敬半分のため息をこぼした。
 そのとき、運転席から穏やかな笑い声が聞こえてきた。

「構いませんとも。お屋敷まで少々ございますゆえ、道中お暇をなさいませんよう勝手に用意しておりましたものにございます。どうぞ、ご存分にお楽しみください」
「平塚さん、すみません」

 咲也が頭を下げると九条院家の執事である初老の男性は、危なげなく車を滑らせながら穏やかに笑った。

「内緒でございますが、惺麗お嬢様がお友達をお呼びになるのはとても珍しいのです。――なので私も楽しみになってしまったのですな。プラネタリウムなどはその気持ちの少々行き過ぎた部分でございましたゆえ、笑ってお見逃しください」
「いえ、嬉しいです! あたしこんな綺麗なの初めて見ました! ね、香蓮?」
「うん! 楽しいねぇさえちー」
「それは何よりでございました」

 ほっほっほと笑う声が心地よく胸を通り抜け、なんとなく納得してしまう。
 自然と肩の力が抜けていく。平塚の言葉にはそんな雰囲気があった。

「どうぞこれからも、惺麗お嬢様をよろしくお願いします」
「はい! ……って、まだぜんぜん話したこともないんですけど。だから今日はいっぱいおしゃべりするつもりです!」
「桜映~……?」
「も、もちろん練習もいっぱい! 忘れてないよ、ほんとだよ!」
「桜映だけ追加メニューかしら」
「そんな!」

 みんなの声に、平塚の朗らかな笑い声も合わさった。賑やかでリラックスした様子に咲也も安心して背もたれに体重を預けた。

「すみれちゃんも元気でてきたみたい。よかったぁ」
「うん、良いことだ。それにしても……」

 車は坂を上って山間の道を行く。両側に立ち並ぶ木々の向こうにちらちらと、城のような洋館が見えていた。

「バラ園くらいならありそうだなぁ」

 手土産を見下ろして、もう少し奮発すべきだったかとぼんやり考えて、やめた。
 しまらないなぁと思いながら、星司の言った『一度行ったら割とどうでもよくなる』ということがなんとなくわかった咲也であった。

***

「オーッホッホッホ! よくぞ来ましたわね桜映、そしてブーケの皆さん! この九条院家で存分にダッシュツをしていくが良いですわ!」

 両開きのドアを押し開けた先で、惺麗自らブーケの一行を出迎えていた。隣には晶も千彗子も星司もいる。絨毯張りの玄関はホールのように広い空間になっていて、正面に立つ惺麗の後ろには同じく絨毯張りの広い階段が二階へ伸び、その頭上にはシャンデリアが輝いて、桜映たちの口をこれでもかというくらいに大きく開けさせた。
 あ然とする桜映、いち早く順応して目を輝かせる香蓮、すみれは小刻みに震えていた。緊張が最高潮に達したようだ。
 惺麗の言葉にあらあらと千彗子が訂正を入れる。

「合宿よ惺麗さん。脱出しちゃったら終わっちゃうわ。皆さん一週間ぶりね。今日と明日、よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします!」
「うふふ。よろしくね春日さん。水川さんも芳野さんもよろしくね」
「よ、よろしくお願いします須藤さん!」
「かたいよ春日さん。そんなんじゃ須藤さんはともかく惺麗とはやっていけないよ。胃が痛くなる」
「ちょっと晶! どうしてわたくしとガッシュクすると胃が痛くなりますの!」
「先に耳と頭が痛くなるかもね。だいたい惺麗はなんで惰弱が言えて合宿が言えないのさ」
「それは初めて使う言葉だからですわ! 今までのわたくしには必要ありませんでしたもの! オーッホッホッホ! ――あら晶、急に微笑んでどうしましたの」

 そんな惺麗たちに口を挟む間もなく右往左往するすみれ。ステラさんは仲良しさんだねぇと香蓮が微笑んでいた。

「仲良しならブーケだって負けてないよ!」
「あら? この九条院惺麗に勝負を挑むなんていい度胸ですわ!」
「あらあら、落ち着いて惺麗さん、みんな仲良しで良いじゃない。惺麗さん、ずっと楽しみにしていたの。もちろん私と晶さんもね」
「僕は別に、チームで合宿するのに参加しないのは惺麗や神奈先生はともかく、須藤さんや平塚さんたちに悪いと思ったからで。楽しみとかないから、別に」
「――そうよね。無理言ってごめんなさい、和泉晶さん」

 恐縮しきっていたすみれがさらに縮こまって、皆の視線が晶に集まった。

「いや……たまには……こういうのもありかもね」
「ハッハッハ、晶くんは素直じゃないなあ。皆にアドバイスできるように、この一週間水川くんのダンスをずっと研究していたくせに」
「余計なことしか言わないなら帰ってくれないかな先生は。……まぁ、春日さんも芳野さんもリラックスしていい合宿にしよう。水川すみれ、君もね」
「ありがとう……お言葉に甘えるわね、和泉晶さん」
「かたいな。まだかたいよ水川すみれ。そんなんじゃ練習に身が入らないよ水川すみれ」
「そうかしら、和泉晶さん……――ねえ、やっぱり呼びづらいから和泉さんって呼んでもいい?」
「君が僕を何と呼ぼうと勝手だし、フルネームで呼ぶように頼んだ覚えもないよ、水川すみれ」

 フンとそっぽをむく晶に困り顔のすみれ。その様子に、桜映と千彗子が目を合わせてくすくすと笑った。

「よかったわ。晶さんと水川さんが仲直りできて」
「なんだか息ぴったりで昔からの友達みたいです」
「すみれちゃんと晶ちゃん、仲良しさんだねっ」

 そこで咲也が咳払いをひとつして、惺麗へと一歩進み出た。

「今日は急な依頼にも関わらず、押しかけて申し訳ない。改めて花護宮高校ブーケのトレーナー東咲也です。二日間どうぞよろしく」
「こちらこそよろしくお願いいたします。わたくしと桜映はライバルですもの。このくらい当然ですわ」
「そうか、九条院さんにとってライバルはお互い協力し合って切磋琢磨するものなんだね。――うん。そういう正々堂々とした考え方は好きだな」
「そ、そうかしら? 東先生と仰られたかしら。なかなか面白い方ですわね」
「そんなことないよ。あ、これお土産のお菓子。大したものじゃないけど皆さんで食べて」
「まぁ! 礼儀には礼で応えるのがこのわたくし九条院惺麗ですわ。平塚、さっそくお茶の用意を」
「あ、いやいや。お茶はありがたいけど、今日は合宿をしに来たから」

 いつの間にか惺麗の傍にいた執事が恭しく礼をするのを慌てて止めると、惺麗もそうですわねとうなずいた。

「ではトレーニングルームに集合だッッ!」
「星司、それはわたくしの台詞ですわ!」
「ほんと帰ってくれないかな先生は……」
「晶さん失礼よ。気にしないでくださいね、神奈先生」
「ハァーッハッハッハ! さあこっちだ!」
「それもわたくしの台詞ですわ!」

 わいわいと廊下を歩きだす星司たち。
 その後ろを追いかける桜映たちへ、平塚が穏やかに笑っていた。

「なんなりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうございます! 二日間、よろしくお願いします!」

 元気よく頭を下げるブーケ一行へ平塚はおやおやといった顔をしながらも、微笑んで礼をしてみせた。



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