Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 鼓動が強く耳を打つ。

 ステージの上からは、見たことのない景色が広がっていた。
 大勢の観客が、期待に満ちた様子で、あるいは試すような様子で桜映たちを見つめている。
 視線には圧があった。静まり返っていても空気は熱を帯びている。静寂とは程遠い無音の空間。
 緊張に鼓動が早くなる。
 曲の鳴り出しがこんなにも待ち遠しいと思ったことはなかった――

***

 抽選でブーケが先攻を取ったのはラッキーだった。少なくともトレーナーとして咲也はそう思っていた。
 先にステラ・エトワールの本番のダンスを見てしまったら、どんな影響を受けるのか想像がつかなかったからだ。咲也にも経験のあることだが、向上心のあるチームほど、自分たち以外のダンスを見ると良い部分を吸収したがってしまう。試合直前の桜映たちにとって悪影響に違いなかった。
 カーテンを閉め切った体育館は、ステージを照らすスポットライトだけが照明だ。
 薄い暗闇で覆われていても、一段高いステージからは観客の表情が見えるだろう。その表情の一つ一つに緊張し、視線の向きにすら一喜一憂するのは、ステージに立ち始めた誰もが経験することだ。自分が初めて観客の視線を浴びた日を思いだして、咲也はぎゅっと奥歯を噛んで、祈った。三人が緊張にとらわれないように、最初の一拍をどうか逃さないようにと。

 音響の席から開始のサイン。
 そして、イントロが鳴り響いた。

 すぐさま桜映たちは反応した。出だしは、きれいに揃っている。咲也が小さく拳を握った。
 曲は桜映たち三人が見つけてきたものだ。ポップで可愛らしい音楽に合わせて、全身で振付を表現する。小さくまとまらないように、動きのキレを失わないように、かつ柔らかく。あたたかな気持ちを届けるように。
 練習以上の出来栄えになっていることに、咲也は少なからず驚いていた。
 前から思っていたことではあったが、桜映たちは踊り始めたら強い。
 開始前にあった不安や緊張など、もうどこにも見当たらない。
 気持ちのこもった全力のダンスだった。
 気づけば観客の生徒たちもリズムに合わせて身体を揺らし、柔らかな表情で見つめている。会場がブーケ色に花咲いていくのを、桜映たちも感じているだろうか。そうであってほしいと咲也は願った。
 長いようで短い時間が過ぎた。
 余韻を持たせて曲がフェードアウトしていく。ミスや引っ掛かりは無かった。最後まで三人のテンポを揃えて、ブーケのダンスが終了した。

 大きな拍手が、桜映たちを包み込んだ。

 同時に好意的なささやきがそこかしこから聞こえてきて、咲也は自分の頬がほころぶのを感じていた。めいっぱい楽しんで、そして勝つ――開始前の宣言が、輪郭を帯びてすぐそばに現れたように思えていた。
 三人が礼をしてステージを降りる。
 今回、インターバルの時間はとられていないため、入れ違いにステラ・エトワールの三人が壇上に登場した。先攻のダンスの後、心の準備もそこそこにステージに上ることになるのだ。トレーナーの心情として少しは揺さぶられていてほしいと咲也は思ったが、さすがに名門校を相手に甘い考えだった。惺麗たちはリラックスした様子でファーストポジションに構えていた。
 三人とも驚くほど自然体だ。
 緊張は全く見てとれない。それどころか安定感すらあった。
 安定は期待を煽る。早くも観客の興味をさらいつつ、惺麗たちはじっと曲の入りを待っていた。
 期待が最高潮に高まったとき、音楽が降り注いだ。
 悔しいことに、曲の始まりと三人の動き出しはぴったりと合っていた。三人で一つの流れを作り上げるように、振付が連鎖して続いていく。一体感というよりも、繋ぎ目のないひとつの存在のような動き。煌びやかでエレガンスな曲に対して、大胆な挑戦とも言えた。
 そしてそのアレンジが綺麗にはまっている。
 メロに入り、それぞれをピックアップした振付へ移る。晶が、千彗子が、惺麗がそれぞれセンターに切り替わってアピールをしていく。個々人のダンスを際立たせたと思ったら、またきっちりとシンクロした動きを織り交ぜて緩急をつける。斬新な工夫を加えながらも華美ではなく、速いリズムを刻みながらも優雅さを失わない。そのダンスは、堂々としたきらめきを放っていた。

 星のように輝いていた。
 咲也の背筋が冷たくなる。

 練習教室で見たダンスから、さらにアレンジが加えられていたからだ。試合直前の短時間で新しい振付を加える度胸は咲也にはない。練習試合だからこその無茶だろうか、いやきっと違うだろう。九条院惺麗率いるステラ・エトワールというチームは、良いと信じたことに躊躇しない。実現できる実力に裏打ちされた自信が、ステラ・エトワールの輝きの源だった。
 気づけばアウトロが流れていた。
 優雅さを纏いながらステラ・エトワールのダンスが終わる。
 割れんばかりの拍手が、咲也を打ちのめした。

***

 会場内がざわめいている。どちらに入れるかで観客が割れているようだった。
 事前に配られた投票券を使って星司や聖シュテルン女学院のスタッフが集計している間、桜映たち、惺麗たちもクールダウンしながら、お互いのステージについてを思い返していた。
 可愛らしく観客を巻き込んだブーケと、煌びやかで優雅に魅せたステラ・エトワールのステージ。
 振付も表現も正反対。だからお互いに意識せずにはいられなかったのだ。
 桜映が目を向けたとき、ちょうど惺麗も桜映を見ていた。票数はまだ出ていない。一歩も引かない、二人のまっすぐな眼差しが交差した。
 高らかに、司会の星司の声が響き渡った。

「――時は来た。いざ雌雄を決しようじゃあないか! 花護宮高校ブーケ、聖シュテルン女学院ステラ・エトワール。両者ともステージへ上がりたまえ!」

 すみれと香蓮と目配せをしあって、桜映たちはステージへと上った。
 星司をはさんで、桜映たちと惺麗たちが一列に並ぶ。

「厳正なる投票がいま君たちの未来を照らす――勝敗はすでに決した! ブーケ対ステラ・エトワールの練習試合、誉れある勝者は――――」

 ブーケだ――ステラだ――観客が祈る。
 星司は大きく息を吸い込んで、告げた。

「――ステラ・エトワール!!」

 大きな歓声が湧き起った――と思ったら、司会を放り出して一際大きく星司が高笑いをしており、スタッフである聖シュテルン女学院の他の先生たちが白い目でそれを見ている。
 大きな拍手に包まれて、星司と同じく笑う惺麗。当然だね、とため息をつきながらも嬉しそうな晶。やったわ、と両手を合わせて喜ぶ千彗子。

「初めての試合だったわけだけど……まぁ、ベストは発揮できたんじゃないかな。ありがとう須藤さん」
「ううん。ぎりぎりで組み込んだアレンジがいいアクセントになっていたもの。晶さんと惺麗さんのお陰よ」
「オーッホッホッホ! やはりこの完璧かつ天才の九条院惺麗がいれば試合の一つや二つ、赤子の手をこまねくも同然ですわ!」
「惺麗さん、こまねいちゃってたら進まないわ」
「ハーッハッハッハ! 我がステラ・エトワールに敗北の文字はないのだ!!」
「我がってところは撤回してくれるかな。不愉快だよ」
「手厳しいなぁ晶くんは! だが心地好くもある! ハァーッハッハッハッハ――」

 一方、桜映たちは声もない。
 放心して立ち尽くしていた。

「――うむ。良い頃合いだ。では、これにて練習試合の終了を宣言する! 撤収は速やかに! 各自、椅子は戻してから退出するように。最後に、素晴らしいステージを見せてくれた両雄に大きな拍手と賛美を! ――両者向かい合って、礼!」

 向かい合って礼、観客の方を向いて礼をして、桜映たちはステージを降りた。
 咲也が笑顔で三人を迎えた。

「最高のダンスだった」

 桜映もすみれも香蓮も、顔を見合わせて、そして小さく、笑った。
 拍手と応援に包まれながら、桜映たちは体育館を後にした。



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